【22.罪】
「ねぇ、分かって」
抱きしめられた部分、触れる背中はとてもあたたかい。
けれど、その温かさは、会話の内容にはひどく不釣合いだ。
身体をずらすと、冷たい空気が私たちの間に流れ込む。
「貴方が好き。でも、私には一番がいる」
「……」
「ひどい女でしょ? 他に思ってる人がいるのに、告白を受けるなんて」
あまつさえ、今この瞬間に手放そうと思っているのだから。
わがままで自分勝手で、なんてひどい女なんだろう。
そう思っても私は、この腕の中にこれ以上納まっていられないのだ。
「どれだけ愛しても、一番には出来ない」
「……それでもいいから……」
「駄目……」
背後に回る腕に、自分の手を添えて剥がそうとする。
それに反発するみたいに強まる締め付けに、そっと息を吐いた。
自然、聞き分けのない子供に対するような、柔らかな声になる。
「ダメ。私を許さないで」
「……」
「許されたら甘えちゃう。そんなの嫌」
許されたくなんてない。だって、これは罪なのだ。
一番がいる身の上で、誰かを好きになってしまった。
そして、貴方を悲しませてしまった。
私の罪だ。
今、昴の吐息が切なそうに漏れるのも、声に悲痛が滲むのも全て。
「……甘えて欲しいと言っても?」
「……私は、もう誰かに恋しちゃいけなかったのよ」
「どうして……?」
「その人を傷つけてしまうでしょう?」
頑固な私の意志を変えることは、今も思ってるあの人でさえ無理だったから。
これからもこの考えは変わらない。
だから私は、誰かを傷つけないためにも、恋をしては駄目なのだ。
それすらも私の偽善なのかもしれないけど。
「……傷つけてくれて構わない」
「……優しすぎるわよ、昴」
「優しくなんて、ない」
首筋からくぐもって届く声は、何かを抑えるような痛みを含む。
それに気づいて振り向こうとしても、昴の手が拒んだ。
胸元の締め付けが増える。
まるで一時でも離したら、私が消えるとでもいうように。
強く、きつく、息が止まるくらいに抱きしめられる。
「本当に優しい男は、すぐにあんたの手を離す。これ以上、あんたを傷つけないために」
「……」
「でも、俺は……何があってもあんたの手を放せない」
その言葉に咄嗟に振り向くと、ちょうど視線にぶつかる。
私を放さないと言外に告げる瞳に、鼓動が早まる。
ずくんと身体の中心に痺れが走った。
この感情は私にも覚えがある。
身を焦がすような、傷つくことも恐れない、強烈な独占欲。
初めて昴が見せたそれに、肌が粟立つ感覚がした。
「あんたが誰を思ってようと……俺はあんたが好きだ」
「……昴」
「だから、あんたが泣いて嫌がっても、たとえたくさん傷ついたとしても、放さない」
「……」
「もう手遅れだよ。諦めろ」
傲慢なその言葉を、私は呆然と聞いていた。
放さないと言うわりに、胸元の締め付けはさっきよりゆるくて。
手遅れだ諦めろとの言葉は、情けないほど震えていた。
これならすぐに逃げ出せるというのに、そうする気が起きない。
「ひどいのは俺も同じ……おあいこだ」
「……ふっ」
「どうかしたか……?」
心配そうに覗き込む昴に、思わず笑ってしまう。
その顔は、さっきの強引な言葉とは裏腹に弱々しい。
それに我慢しきれず、私は笑い転げた。
「あはははははっ……あーダメだぁー!」
完敗だ。敵わない。
私は何を悩んでいたのだろう。
罪が何だ。傷つくのが何だ。
当人はこんなにもケロッとしているのに、私一人悩んでいるなんて馬鹿みたいだ。
悩んで損した。もう開き直ってしまえ。
「……貴方には負けたわ」
誰かを思ったまま、この人の隣にいてはいけないと思った。
だから、離れることにしたのに。
彼―昴は、私が離れることを許さない。
それなら私は、貴方が望むとおり、ここにいよう。
たとえそれが昴の言葉に甘えるものだとしても、逃がしてくれないのは昴だ。
昴が悪い。そうやって、開き直ってしまうのだ。
ひどいのはお互い様。その通りだ。
「……甘えていいのね?」
「っ……!?」
「放さな――」
続く言葉を言いたかったのに、それは呑まれた。
珍しく余裕のない行動に、唐突に幸せだと思う。
そんな自分がひどく可笑しい。
胸元に回る腕。安心できるそれに、私は笑って身を任せた。
(08.09.21)