【33.硝子】

「いつもすまない」
「謝らないでください。慣れましたから……」

乱雑に並ぶシャーレを一つずつ丁寧に拭いてゆく。
曇りが消えたことを確認してケースに並べる。
蓋をして所定の位置においてから、水道の方へ向かう。

「片山には手伝ってもらってばかりで」
「……私が好きでやってるんですから、先生は気にしないでください」

実験後の理科室は、生徒たちが適当に置いた器具で見るも無残。
それを直し、後始末するのが、進路の決まってしまった私の放課後の日課だ。

「だが、お前だってやりたいことがあるだろう?」
「……私は邪魔ですか?」

流しに立つ先生は、腕まくりをして、ビーカーを洗っていた。
隣に並び、濡れた試験管を手に取る。
かけてあった布巾で拭いて、元の場所に戻した。
棘のある私の言葉に、先生の手が止まる。

「そんなことない。いつも助かってる」
「……なら、よかった」
「他の奴にも声かけたんだが手伝ってくれないんだ」

バキッ

持っていた試験管が真っ二つに割れた。
試験管を伝い、ポトッと血が垂れる。
その様子が現実離れしていて、私は身動きできない。

視界の端の黒い何かが、私の手をとった。
割れた試験管を危険物入れに放り投げ、私の手を舐める。
その動きに我に返った。

黒いのはスーツで、私の手を舐めるのは、先生の舌。
ドクン、ドクンと心臓が早くなる。

手のひらに触れる前髪がチクチクしてこそばゆい。
ねっとりと絡みつく舌の感触と、ひどく興奮させる命の匂い。
顔を上げた先生の口元には、舐め損ねた血がこびりついていた。

「……嫉妬したのか?」
「……はいって言ったら?」

挑発するように言葉を紡ぐと同時に、身体がリノリウムの床に叩きつけられる。
それとは反対方向に飛び散った血が、妙に赤くて、綺麗だと思った。

(08.07.24)






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