【04.劣情】

「行くな」
「……無理よ」

夜が明ける。一日の始まり。世界が太陽に彩られ、歓喜の産声をあげる。
そんな祝福された光景のなか、彼女は一人、黒馬を従え佇んでいた。
俺の言葉に振り向きもせず、そっけない答えだけが返る。
沈黙した俺を気遣ったのか、彼女はこちらを向いて空笑いを見せた。

「わたしはね、自分の身くらい自分で守る。誰かに守られたくない」
「俺に守られるのは、嫌か?」
「えぇ、もちろん」

即座に肯定されたそれに怒りが募る。
俺の感情に気づいたのか、体を固くさせる。
それに憤りをどうにか霧散させると、彼女は体の力を抜いた。
小柄な身体、腰に佩いた無骨なものを、大切そうに握り締めて笑う。

「男に守られることが当たり前の女じゃないの。知ってるでしょ?」
「……あぁ」

彼女が、守られるのを嫌っていることを、俺は誰よりも解っている。
それでも、好きな女が――お気に入りの腹心が、ひとり前線に行くのを見過ごしたりできない。
すべては決まったことで、今さら覆せるはずがないとしてもだ。

もしかしたら、死ぬかもしれない。永久の別れになるかもしれない。
そんな状況で止めなかったら、ただの馬鹿だ。それか愛情がないに違いない。
心痛に顔を歪めた俺に、彼女はあっけらかんと言い放つ。

「わたしの上司なら、わたしのことをもっと信用しなさい」
「……」
「心配しないでいい。死にはしないわ」

戦場に絶対などないと理解した上で、優しさでそんな言葉を言う。
でも、それはひどく冷たい優しさだ。
容赦なく突き刺さる言葉の刃にも等しい。
思わず怒鳴ろうとした俺に、彼女は頼りない笑みを見せた。

一人置いていくことを申し訳ないと思いつつも、一度決めたことは覆さない屈強な女。
融通が利かなくて、頑固で負けず嫌いで、意地っ張りで。

そんな彼女も、別れを思って、一人泣いていたことを知っている。
泣き言のひとつも漏らさず、今日まで黙々と執務をこなして、自室で少しだけ涙を零した。
それを見たわけではないのに、知っていた。

弱い自分を頑なに隠して、強くあろうと振舞う彼女を止めることなんて出来なくて。
それでも何とか自分の許に留めたくて。

剣を握るには華奢すぎる腕を引く。
予想していたのか、抵抗なく収まる身体をきつく抱きしめる。
弓なりにしなる体をそのままに、身を捩る彼女にさらに力を込めた。

ほんの少し背の低い彼女のあごを掬う。
衝動のままに唇を重ねようとして、感触の違いに目を開いた。

「どうして……?」
「……ダメ」
「理由は?」

手のひらを間に挟まれ、拒まれた口づけ。
眉をしかめた俺に彼女は苦笑を返した。

「唇を合わせたら、止まらなくなるでしょう?」
「……」
「だから、ダメ」

にっこりと、その願いが叶わないなどと微塵も思っていない顔で微笑む。
朝日に照らされた、花が綻ぶような笑顔は、限界だった俺の精神をあっけなく破壊した。

強引に後頭部に手を当て、力任せに引き寄せる。
ゴツンと歯と歯がぶつかった鈍い音を無視して、目の前の女に集中した。
必死に侵入を拒む唇に、自分のそれを強く押し付ける。
音を立てて、柔らかく挟み込む。

目がくらむような劣情。
猛烈な赤が閉じた視界に過ぎる。

「嫌だって言ってっ……、んっ」
「……」

開いた唇を割って、舌を滑り込ませる。
逃げようとする彼女のものを絡め、口内を蹂躙した。
歯列をなぞり、背を撫でると、細身の彼女の体が震える。
時折漏れる吐息はひどく切ない。
熱くなった唇を離すと、潤んだ瞳にぶつかった。

「はぁっはぁっ……何なの?」
「……これぐらい許せ」

息の荒い彼女の首筋に顔を埋めた。
そこからはいつもの甘い匂いがして、胸に浮かんだ淋しさを煽る。

「何をしたって、お前は止められないんだろ」
「……長官」
「だから、キスぐらいで喚くな。うるさい」

もしかしたら、これが最後のキスになってしまうかもしれないのだから。
出立の時間が近い。ゆっくりと話をしていられるのもあと僅か。
そんな時くらい、感傷に浸らせてくれたっていいではないか。

クスクスと呆れた笑いを響かせ、俺の背に手が回る。

「……うるさいって、ひどい人」
「お前よりはマシだ。俺を置いていくんだからな」
「……それは」

視線を逸らした彼女の頬に手を当てる。
合わされる瞳。弱さに揺れる彼女。
不安が見え隠れする目に、力強く笑う。

「何も言わなくていい」
「……」
「ただ約束しろ。……絶対帰って来い」

驚いたように目を見開く。
その表情がただ愛おしくて、俺は微笑った。
ポロリと零れたそれを拭う。

何かを吹っ切ったように晴れ晴れとした朗笑。
カチャンと剣がこすれる音がした。

「無事に帰ってきたら、俺の所に来い」
「……長官」
「待ってる」

答えるように首に回された手に、俺は目を細めた。

(08.09.07)






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