【47.本気】
「ごめん、先生……」
「……ったく、お前はホント手のかかる奴だよ」
コンロにかけたやかんが沸騰したのか、音を立てる。
それを手に取り、封を開けたそれに注ぐ。
湯気の立つ『はるさめヌードル』を、毛布に包まって膝を抱えるそいつの前に出す。
「ほら、食え」
「え……でも」
「戦うんだろう? なら、食べなさい」
自分の分を手に取り、正面に座る。
箸を割って、蓋の上に置いた。
行儀悪くも肘をついて、出来上がるのを待つ。
「いざというときに、力が出ないと困るだろ?」
「……うん」
おずおずと手を出すそいつに、割り箸を渡す。
俺は苦笑して、自分のを手に取った。
「なぁ、飯田」
「……はい」
蓋を開けると、食欲をそそる良い匂い。
自然とゆるむ頬。
久々の食べ物にお腹がすいたのか、飯田も箸を持つ。
「今のままのお前で十分だ。だから、無理に痩せようとするな」
「だって……」
「貧血起こしてまで、ダイエットしてどうする?」
「……」
俺の指摘に黙り込んだ飯田に、ため息をつく。
どうしてどいつもこいつも、女は痩せたがるのか。
少しぐらい肉がついていたほうが、俺は嬉しい。
ガリガリの女なんて抱きしめていて、何が楽しいのか分からない。
飯田は、ズルズルーッと特有の音をだしてヌードルを食べた。
その顔はとても嬉しそうで、ひどく幼い。
美味しいと体で表現する飯田に、自然と笑みが零れる。
「それに、お前の彼氏は、痩せてないと嫌だなんて言う心の狭い奴なのか?」
「違います、けど……」
「なら、する必要ないだろ。ちゃんと食べなさい」
視線を逸らす飯田に、クスクスと笑う。
素直じゃない俺の生徒は、そんな俺を無視して食べ続ける。
それを一瞥して、俺も箸を進めた。
決して濃くないスープ、適度に伸びたヌードル。
申し訳程度に入っている具を食べ終わる。
常時、消毒薬の棚の下に隠しているそれは、俺と飯田だけの秘密だった。
ハンカチで口を拭く飯田と視線が交じる。
いつものように手を合わせ、二人同時に言い放った。
「「ごちそうさまでした!」」
「はい、よく食べました」
空になった容器を重ね、流しに持っていく。
その間に身支度を整えた飯田に、脇に置いてあった鞄を渡した。
「ありがと、先生」
「……どういたしまして」
細い身体。ぼさぼさの長い髪。
泣き腫らした顔で飯田は笑う。
「また来るね」
「……もう来んな」
バイバイと手を振りながら保健室を去る飯田に、俺も手を振り返す。
完全にドアが閉まったのを確認して大きなため息をついた。
「まったく……損な役回りだよ」
突発的な恋愛相談室の終了したここは、いつもどこか暗い。
それはきっと、俺の憂鬱な気分が空気に溶け出しているからに違いない。
この最悪な気分を払拭すべく、やかんをまた火にかける。
自分用のマグカップにインスタントコーヒーを入れ、湯が沸くのを待った。
俺は、あいつが、飯田が好きらしい。
大丈夫と痛々しい笑顔で強がるあいつを。
ぐちゃぐちゃの顔で泣き喚く飯田を、何度抱きしめたいと思ったか。
そのたびに奥歯をかみ締めて、拳に力を入れた。
こんな気持ちは嘘だと否定して、自分を戒めた。
それを否定しなければいけないことが、深みにはまってることを証明しているというのに。
彼氏と喧嘩したと飯田が言ったとき、俺はチャンスだと思ったのだ。
弱みに付け込んで、優しいフリをして、距離を縮めるのにふさわしいと。
そんなことを考えた時点で、もう戻れない。
あんな年下相手に、本気になるなんて馬鹿げてる。
「……最悪だ」
敵に塩を送ってしまった。
生徒を好きになってしまった。仮にも教師である俺がだ。
本当に最悪としか言いようがない。
でももう、自分の中で、気持ちは固まっている。
本気になる気になった。手加減なんて、しない。
「逃げんなよ、飯田」
クスリと笑った俺の手前、湯気を立てたやかんが、返事をするようにピーッと音を立てた。
(08.09.13)