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リリム 2.下心と賄賂




「今日はありがとうございました」
「楽しめた?」
「……思ったよりは楽しめました」

劇場を出てすぐ、松山が頭を下げた。
口では冷めたことを言っていても、興奮を隠せないのか目をキラキラさせていた。

けれど、今日のイライザはいつもより声にハリがなかった。
もっと完璧な出来のときに彼女に見せたかったのに少しだけ残念な気分だ。

二人連れ添って劇場を後にする。
外に出ると夏特有のむわっとした熱気に包まれる。
中が涼しかっただけに、この暑さにはほとほと参りそうだった。
隣を歩く松山が薄着じゃなければ、夏なんて早く終わればいいのにと思ったところだろう。

何を考えているのか、松山は僕の一歩あとを無言でついてくる。

僕としてはこのままディナーにでも連れ出したい気分だけど、彼女のことだ、遠慮するだろう。
もしかしたら警戒されるかもしれない。それだけは避けたい。
お堅い彼女を篭絡するには、慎重な行動が得策だ。
今日のところはこの後喫茶店にでも入るぐらいで我慢するべきだろう。

「この後、どうしようか?」

とりあえず、彼女の意見を聞こうと話しかける。
けれど、彼女は上の空。僕が話しかけても無反応。
視線はセレクトショップのマネキンに向けられてるようだった。

「松山?」
「あ……聞いてませんでした」

視線を合わせようと顔を覗き込むと、やっと僕がいることを思い出したようだった。
存在をまるっと忘れていたのを気にしているのか、松山はやけにバツが悪そうな顔をする。
それを無視して、僕は首をかしげた。

「あの服がほしいの?」
「……ただ見てただけです」

そう言いつつも、目はショーウインドウから動かない。

パッキリとした形の紺色のラップワンピース。
深く開いたV字の胸元がセクシーなデザインだ。
松山の年齢からみれば背伸びしている感じがするが、美人な彼女のこと。
きちんと着こなすだろう。

物欲しそうな横顔、思わず笑った。

「買ってあげようか?」
「これぐらい自分で買えます」
「……プレゼントさせてくれないの?」

好意でたずねる僕に松山はつっけんどんな態度。
そのつれない様子に、ふてくされてしまいたい気分だ。

「僕に華を持たせてくれたっていいだろう?」
「……だって、男が服をプレゼントするのは、それを脱がすためなのでしょう?」

松山の口から出た言葉が意外すぎて、僕は口をあんぐりと開ける。
ショップの前で立ち止まる僕らを夏の西日が照らす。
けれど今は、暑さを忘れそうなほど、焦っていた。

「誰だ? 君にそんなことを教えたのは……」
「昔の男」

松山の面白がるような一言に僕の思考がとまる。
言っていることの意味が分かってくると同時に、落胆が心を襲う。
真面目で誰とも付き合ったことないような顔をしてる松山に昔の男がいるなんて。
正直ショックだった。

「若いのに恐ろしい子だ」

けれど、なけなしの矜持をかき集めて、年上らしく虚勢を張った。
それすらも見破るような松山は、なぜかご機嫌に微笑む。

「……若さに嫉妬ですか? 年をとるのって怖いですね」
「君は本当に口の減らない……」

若さに嫉妬しないわけがない。
僕が若ければ、松山にもう少し積極的に接することもできる。

けれどもう僕は若くはない。
若い頃は脱がすために服をプレゼントしたかもしれないが、今は違う。
そんな一時の衝動に任せて、狙った獲物を逃すようなことはしないのだ。

「それで、私の服を脱がしたいと?」
「邪推しないでくれ、今回は純粋な好意だ」

からかうように続ける松山に下心なんて微塵も見せずに苦笑する。

信じてもらえないかもしれないが下心ゼロだ。
気になっている女の子が欲しいものをあげたいっていう単純な心。
次回があったら分からないけれど、今日のは本当に純粋な好意なのだ。

僕の言葉に何を思ったのか、松山は少し機嫌を損ねたようだった。

「純粋な好意ね。……騙されてあげますよ、助教授」
「嘘じゃないんだけどな」
「……信用してないですけどね」

そう言って、一人勝手にショップに入っていく。
カランと軽快な音が鳴るドアから僕も続けて入る。
店員に事情を話すと、在庫がないのかマネキンを脱がすようだった。
四苦八苦しながらマネキンを剥く店員を横目に、おとなしく待つ松山に笑いかけた。

「きっと君に似合うよ」
「……いつもそういうこと言ってるんでしょう?」

褒め言葉を言ったつもりなのに、松山は僕を胡散臭いものを見るような目で睨む。

彼女は僕の尻軽っぷりを目の当たりにしているのだから、まぁ信じられなくて当然だろう。
実際、誰にでも言っているのだから、彼女は本当勘がいい。

店員が丁寧に畳んだワンピースを松山は礼を言って受け取る。
試着室に案内される彼女の後ろから声をかけた。

「次のデートはそれを着て来てくれるだろう?」
「……今回だけって言いませんでしたっけ?」
「気のせいだよ」

ため息をついて、試着室に引っ込む松山。
数分後お披露目されるであろう彼女のワンピース姿に思いを馳せる。
次回のデートも楽しくなりそうだった。






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2012.02.29