日陰の白百合 1
『もう帰ります。笑実』
簡単なメールを打って、携帯を閉じる。
目的地へと急ぐ電車は、沢山呑んだ身体をガタンゴトンと優しく揺らす。
家まで、あと二駅。乗り過ごすわけにはいかないから、寝ることも出来なかった。
車内アナウンスが降車駅を告げる。座っていた座席を離れ、開く方のドアへ向かう。
ほどなくして開いたドアからホームへ降り立つ。
外は、秋だというのにひどく寒かった。
階段を下りて、改札を抜ける。
時刻は一時半。この時間の女の一人歩きは危ない。
もったいないけれど、タクシーを使うしかなかった。
タクシー乗り場に向かって歩いていると、見覚えのある車が目に付く。
その車体に寄りかかっていた男が、私を見てにっこりと微笑んだ。
「おかえり、笑実」
「明良……どうして?」
「そろそろ帰ってくると思ったから」
私の帰ってくる時間を計算して、ずっと待っていたのだろう。
明良の吐く息が、少しだけ白かった。
「……そう。ありがとう」
明良が開けたドアの隙間から助手席に乗り込む。
バタンと閉められたドアを一瞥して、シートベルトをつけた。
その隙に運転席に座った明良が、エンジンをかける。
すぐに出発した車の窓から、キラキラと輝くネオンを見ていた。
「……どうかした?」
「何が?」
信号に引っかかったタイミングでの質問に、質問で返す。
どうかしたなんて聞かれる心当たりがなかった。
「笑実、暗い顔をしてる……」
真剣に言われたその言葉に、私は笑う。
それに明良は訝しげな視線を寄越す。
「明良にはすぐにばれちゃうんだね」
「……笑実」
「聞いてくれる?」
再び動き出した車の外、ネオンが眩しい。
目を閉じればすぐに思い出す。
なんたって、つい一時間前にあったことなのだ。
「今日ね、告白されたのよ」
「告白?」
「うん、そう。同じ講義とってる村上優人くん。いい子だし、嫌いじゃなかったけど……」
好意がなかった訳じゃないし、好みじゃないといえば嘘になる。
優しくて、ムードメーカーで、お調子者で、勉強もそこそこできて。
普通の彼氏が欲しかったのなら、申し分なかっただろう。
「でも、断った。やっぱり駄目だったなぁ」
好きじゃないのに、お付き合いするのは許せなかった。
好きな人がいるのに、村上くんと付き合うなんて考えられなかった。
それに、私にはどうしても村上くんと付き合えない理由があった。
「断るときの理由ね、嘘ついたのよ」
「笑実」
「言えなかった。私の好きな人は、女の人なんだって」
元々そういった趣味だったわけじゃない。
たまたまその時好きになった人が、女の人だっただけだ。
ただそれだけのことなのに、同性を愛してるなんて大学の友人たちには言えない。
ため息をついてから笑う。
その私の笑顔を見て、明良の横顔が歪む。
「叶わない恋をしてるんだってね、言えばよかったかな?」
「笑実」
強い口調で呼ばれた名前に、私は押し黙る。
普段、私に優しすぎる明良が、怒るだなんて珍しいこともあるものだ。
でも、それが明良の優しさからでたものだって知っている。
私たちの住むマンションの地下駐車場に車が入ってゆく。
指定された場所に一回で停めた明良は、シートベルトをはずしてこちらを見た。
「辛いことなら、それ以上言わなくていい」
「……でも、聞いてほしいの」
明良の言葉をやんわりと否定する。
それに顔をしかめた明良にクスクスと笑う。
伸ばされた手を拒むことなく受け入れる。
頬に触れる手はひどく優しかった。
「俺は傍にいる」
「……ん、ありがと」
にっこりと微笑んだ私を確認して、明良は車を降りた。
そして、助手席のドアを開ける。
差し出された手に自分のそれを乗せ、私は地面に足をつけた。
2009.01.25