秋の
菖蒲 水無月編<1>
「菖蒲ちゃん、俺お肉が食べたいなー」
「家にある」
「えーじゃあビールはー」
「駄目、飲酒禁止」
菖蒲のつれない言葉に、俺は子供みたいに口を尖らせた。
こっそりカゴにいれようとしたビールは、すぐに売り場に戻される。
日没がとっくに過ぎたスーパーは、俺みたいなくたびれたサラリーマンでいっぱいだ。
けれど、こんなに時間に女子高校生(しかも美人!)と一緒に買い物をしているのは俺しかいない。
今も視線を感じる。優越感で胸が満ちる。
ふふふ、崇め奉っていいのだよ、諸君。
一人浸る俺のことなど目もくれず、メモを見ながら菖蒲は次々とカゴに入れていく。
その背中に慌てて追いついて、俺は機嫌よく話しかけた。
「こうやって肩を並べて買い物してるとさ、何か新婚みたいだよね」
「……」
「フリフリのエプロン着てさ、『おかえりなさいあなた、ご飯にする? お風呂にする? それとも……』とか言ってくれたら嬉しいよな」
「ベタ……。しかもキモイ」
途中まではシカトするつもりだったのだろうが、俺のあまりの発言に菖蒲はあきれ果てた様子で言い捨てた。
その視線の冷たさに、少し背筋が粟立つ。
睨んでいるというのに麗しいその顔。
思わずお持ち帰りしてしまいそうな可愛さだ。
「あの、あたしを無視するのやめてもらえます?」
邪な妄想をする俺の斜め下、菖蒲の背の後ろからひょこりと顔を出す少女。
菖蒲と同じ制服がふわりと揺れる。
フレームのない眼鏡の奥で、目が不満を訴えた。
「ごめんごめん、わざとじゃないの」
「知ってるけどさ、あまりにも二人の世界と言うか」
「なっ、そんなわけないじゃない」
菖蒲がとりなすが、少女は機嫌を損ねたまま。
その様子を傍目から見て笑う。
彼女は
安形ソノ。菖蒲の友人だ。
とはいっても、俺も今日会ったばかり。
どんな子なのか見当もつかない。
こそこそ話す少女たちの後ろから努めて陽気に話す。
「嬉しいなー。俺のことしか見えないなんて」
「……食べさせないけどいいの?」
「すみません、俺が悪かったです」
厳しい菖蒲に早々の白旗。
俺らのいつものやり取りに、ソノちゃんはくすりと笑う。
悪い子じゃないらしい。
菖蒲の友達なんだから当然といえば当然か。
「秋斗、豆腐」
「はいはーい、これでいい?」
「うん、ありがと」
菖蒲の命令に忠犬のように従い、カゴに豆腐を置いた。
普段は誰であっても、あごで使われるのは嫌いだが、今はとても気分がいい。
あの雨の晩から、菖蒲は俺を下の名前で呼ぶようになった。
これ以上に嬉しいことがあろうか。
名前で読んでくれるなら、多少のパシリが何だと言うのだ。
俺、今なら死んでもいい!
でも欲をいうなら菖蒲と鍋を食べてからがいい!
心中の興奮を抑え、俺は外行きの顔をして言った。
「でも、俺もお邪魔しちゃっていいの?」
「ソノちゃんがいいって言うんだからいいんじゃない?」
「そうかーごめんな、ソノちゃん?」
今日、俺は菖蒲の家での鍋パーティーに参加する。
ソノちゃんの菩薩のように広い心のおかげで、俺もお相伴にあずかれることになった。
もう俺、ソノちゃんのいる方向に足をむけて寝られない。
そもそもどっちに家があるかも分からないが、感謝感謝である。
「春の鍋って美味いよな」
買っている材料的に水炊きのようで、冬は冬で美味いのだが、この時期だって美味い。
未成年がいるからビールは飲めないが、もう考えただけで最高だ。
「菖蒲は料理うまいしな」
「褒めても、お肉増やさないけど」
「なんでバレたんだ……」
菖蒲に思考を先取りされて居心地が悪い。
お互いがお互い、毒されているのかもしれない。
さっきの少しスケベな妄想はバレてないといいけど。
視線を感じてうつむくと、俺たちの間に埋もれたソノちゃんが不思議そうな顔で俺を見る。
また蚊帳の外にしてしまったことに内心慌てると、ソノちゃんはその小さな唇を開いた。
「アヤちゃんたち、それで付き合ってないの?」
俺たちより小さいソノちゃんに見上げられ、自然と菖蒲と顔を合わせる。
きょとんとした顔で首を傾げ、二人同時に言い放つ。
「付き合ってない」
「……それで?」
俺たちの回答を聞いて、ソノちゃんは頭痛をこらえるような仕草をする。
何かそんなに変だろうか。
菖蒲をちらりとみると、同じことを思ったのだろうか、目が合った。二人、笑いあう。
また仲間はずれにするなと怒るソノちゃんが目に浮かぶようだった。
2013.10.07