秋の菖蒲(あやめ) 水無月編<3>




「今日は珍しく、晴れたなー」

季節は梅雨である。
晴れている方が珍しいのだが、見上げる空はカラッと快晴だ。
俺の日頃の行いのよさに違いない。

「ひとりごと言ってダサい」
「……菖蒲ちゃんいたんだ」

背後から聞こえた声に、余裕を持って振り返ると、そこには制服姿でもバイト中でもない菖蒲がいた。
若草色のワンピースにベージュのカーディガンを羽織っていて、それがよく似合う。
小さなショルダーバッグを肩にかけ、足元はヒールのない靴だった。
顔はいつも通り濃い目のアイメイクで、服装も相まっていつもより断然大人っぽかった。

「ジロジロ見ないでよ」
「ごめんね、あんまり可愛いものだから」

俺が素直に褒めると、照れたのか菖蒲は目をそらす。

「帰っていい?」
「ダメ」

今にも逃げ出しそうな菖蒲を視線で制し、俺は入り口に歩を進める。
シーズン真っ盛りの園は老若男女でごった返し、小さなチケット売り場の前には行列が出来ていた。
そこを素通りし、係員に招待券を二枚見せる。
半券を受け取り中に入ると左右に菖蒲色が広がる。
その光景に一瞬言葉を失う。

「うわぁー」

年相応に驚いている様子の菖蒲。
珍しさに笑うと、バツが悪そうにまた目をそむけた。

「何?」
「いいや、何でも」

門の前で呆けているのも邪魔になる。
置いてあったパンフレットを拝借し、隅のベンチに腰をかける。

「どっちから回ろうか? 階段を上るのと下りるのどっちが好き?」
「別にどっちでも。人がいないほうから回ろうよ」

とはいえ、今日は休日。どちらにも人がわんさかいる。
俺たちは話し合いの末、パンフレットのおすすめコースを反対に回ることにした。
少し後ろをテクテクとついてくる菖蒲に話しかける。

「デートなんだし、手つなぐ?」
「やだ」

全力で拒否されてしまった。相変わらずつれない。
でも、俺はこんなことでめげるような男ではない!
ちょっとやそっとのことじゃ諦めてなんてやらないのだ。

かがみこみ顔をのぞくと、俺の動作にびっくりしたのか菖蒲は目を丸くした。

「ずっとデートしたかったの?」
「……黙秘します」

答えたくないのか菖蒲は口の前に両手でバツをつくる。
いつもより仕草が幼い。

「駄目、認めません」

可愛さに免じてあげたい気も山々だが、これに関してはソノちゃんにチケットを渡された日からかわされている。
何とか菖蒲から答えを搾り出したい。

俺たちときたら、折角菖蒲園に来たのに、全然景色を見ていない。
手もつながず、二人の間には一定の距離がある。

花の菖蒲はそこかしこに綺麗にたたずんでいて、手を伸ばせば簡単に手折れそうなのに。
人間の菖蒲はほんの少し身体にも、心にさえ触らせてくれないのだから。

ソノちゃんがせっかく設けてくれた機会だ。
もう一歩進んだものが欲しかった。

「素直になったほうがいいよ、菖蒲」
「……したくないわけじゃなかったけど」
「それはすごいしたかったってことだね」

俺の指摘に菖蒲は俯く。

菖蒲と知り合ってからもう半年以上過ぎ、その間に分かってきたことがある。
彼女はとてつもなく照れ屋で意地っ張り。口から出る言葉は大抵反対なのだ。
その証拠に黒髪からのぞく耳は真っ赤だ。

「手つなごうか」
「……」

差し出した俺の手に躊躇いながらも手を重ねる。
ぎゅっと握り締めると距離が近づく。
ふわりと菖蒲の匂いが俺の鼻をかすめた。
こんなにいい思いをするんだったら、もっと早くデートしておけばよかった。

「デートしてあげなくてごめんね?」
「……今日してるからいい」

頬を染めて菖蒲はぶっきらぼうに言う。
その不器用さに俺は苦笑し、彼女の手を引いて園を回った。


* * *


それからは、ちゃんと菖蒲園を楽しめたと思う。

園内は花菖蒲はもちろんのこと、紫陽花、石楠花、ギボウシ。
途中にあった池にはスイレンが咲いていた。
展望台からはいい景色が見えたし、水車があったり、昼食を管理棟で食べたりと、地味ではあるがデートらしいデートが出来た。

中は結構広くて、かなり歩いたけれど、菖蒲は大丈夫そうだった。
ヒールのない靴を履いてきてくれてよかった。

自販機のお茶のボタンを押す。
今は休憩中だった。
買った飲み物をベンチで休んでいる菖蒲に渡す。

「はい、飲み物」
「ありがとう」

菖蒲の隣に腰を下ろし、缶コーヒーのプルトップをあげる。
口に含むと、冷えたコーヒーとはいえ微糖は甘かった。
なかったから仕方ないが、俺はどちらかというとブラックが好きだ。

本当は二人で一本でもいいかなと思った。
でも、間接キスなんて夢のようなシチュエーションは菖蒲がきっと許してくれないから自分の分も買った。
若干残念である。

「これからどうする?」

座ってなお、俺より小さい菖蒲が何気なしに見上げる。
その覗きこむような格好はちょっと心臓に悪い。
すごく可愛い。

「うーん、とりあえず家の方向に帰るか」

菖蒲とは夜までいるつもりはなかった。
なんて言って家を出てきたのかしらないが、彼女の母親が帰ってくる前に家に帰したい。
待ち合わせを近所にしなかったのも彼女を避けるため。

ただでさえ俺は社会人。菖蒲は女子高生。
俺はこの際どうでもいいとして、菖蒲はまだまだ学生で親の庇護の元だ。
単純に『デートした』ことを知られるのが照れくさいのもあるが、筋は通すべきだろう。

俺が一人そう結論づけると、何が不満だったのか菖蒲はむくれた。

「何で?」
「大人の事情?」

適当に答えたらますます機嫌が降下する。

「何それ」
「今日はもう帰ろう。また機会があるだろ?」
「やだ。まだ帰らない」
「菖蒲ちゃん」
「やだったらやだ」

駄々をこねはじめた高校生(こども)に俺はため息をつく。
日々の営業は口八丁でなんとかなるが、菖蒲の前ではその能力も役に立たない。
俺は保育士じゃないし、教師などではないのだ。子守などできない。

けれど、すっかり冠を曲げてしまったお姫様のご機嫌をとって、どうにか家に帰さないといけない。
骨が折れそうだった。

「菖蒲ちゃん、帰ろうよー。帰っておいしいご飯食べよう」
「やだ。外で食べる」
「いいの? 秋斗スペシャルだよ?」
「……釣られてやらないんだから」

梃子でも動こうとしない菖蒲に誘惑をしかけるが、ちょっと心引かれることはあっても腰を上げる気はないらしい。
早くも手詰まりだった。
どう菖蒲を説得すればいいのか。

策を探して視線をさまよわせた結果、遠く販売所が目に留まる。
いいことをひらめいて、俺は立ち上がった。

「ここでちょっと待ってて」
「なっどうした」

背中に話しかけてくる声を無視して、俺は販売所へ走った。
ついて早々、目当てのものを見つけて、それを一つ買って菖蒲の元へとんぼ返りする。
俺の行動で混乱したのか、その顔からは怒りが落ちていた。
その眼前に入れてもらった袋を突き出す。

「はい」
「なにこれ」
「菖蒲の苗」

これしかないと思った。見つけたときこれだと思った。
運命のようだと思ったのだ。

「近々誕生日だろ。プレゼント」

見下ろす菖蒲は呆然としていて、俺は想像した反応じゃないことに不安になる。
喜ぶと確信していただけに突っ返されたらどうしようと今更慌てた。

「私、誕生日じゃないけど?」
「え……」

菖蒲がポツリと呟いた言葉に、今度は俺が固まる。
誕生日じゃないなんてそんなことあるのか。

「だって、『菖蒲』って」
「私、秋生まれなの」
「……それ早く言ってよ」
「私に言われても……」

脱力して思わずその場に座り込んでしまう。

勘違いだった。それで一人ではしゃいで馬鹿みたいだ。
穴があったら入りたい。

多分俺はいま耳まで真っ赤だ。全身熱くて仕方ない。
菖蒲のことが直視できなくて、手のひらで顔を覆う。

「ごめん、俺すごい恥ずかしい」
「いい。もらうわ」

とても優しい声が響いて、俺は指の隙間から菖蒲をうかがう。
ビニール袋の中をのぞく菖蒲はその声通りに安らいだ顔をしていて、俺は自分の照れも忘れて彼女に見とれた。

「ありがとう。大切にする」
「いいの?」
「うん、私にくれたんでしょ?」

そうして、菖蒲は立ち上がった。
さっきまでの抵抗が嘘みたいだった。
高校生(こども)だった彼女が突然大人になったみたいだ。
その急激な変化に、俺はついていけなくて戸惑う。

「菖蒲ちゃん?」
「帰りましょうか」

菖蒲が手をこちらに差し出す。
彼女の行動に疑問を抱きつつも、帰りたいのは俺も一緒だった。
出された手を握りかえして、俺たちは帰路につく。

園を出る前に、菖蒲がくるりと振り返る。
その瞳は花菖蒲の群生を映していた。

「あの人の好きな花だったの」

そう言って、菖蒲は儚く笑う。
菖蒲の口にした『あの人』のことはその後も聞けなかった。







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2013.12.11