アネラ 10.私の好きな人




部屋のドアを開けた瞬間、そこにいた人物に私は固まった。

「何できょーちゃんがいるの」
「まなさんがここで待ってろって」

きょーちゃんはテーブルの前で行儀悪く足を広げていた。
ネクタイをだらしなくゆるめ、優雅に紅茶なんて飲んでいる。
スーツの上着なんて私のお気に入りのハンガーに掛けている始末だ。

人の部屋で最大限くつろぐきょーちゃんに眉をしかめる。
疲れて帰ってきた日にきょーちゃんになんか会いたくなかった。
今まで一月以上連絡しなかったくせに、よりにもよって今日来るのか。

ドアを閉め機嫌悪く鞄を定位置に置く私の顔を見ながら、きょーちゃんは私を労わるように言った。

「受験お疲れ」
「……知ってたのにどうして今日来るの」

今日が受験日だって知っていたなら、もう少しそっとしておいて欲しかったのに。
持てる力すべて出し切って頭も体も疲れたのだ。

全力は尽くしたけど、はっきり言って自信はない。
元々賭けのような志望校だった。受かるかどうかは五分五分だ。
帰ってきたら、答えあわせをしたり、これからのことを考えるつもりだったのに。
きょーちゃんのせいで台無しだ。

恨みがましくきょーちゃんをジト目で睨むと、唐突にきょーちゃんは言った。

「澤田に告白されたんだってな」
「なっ……」

その言葉に驚いて振り返る。
思わずきょーちゃんと目を合わせてしまって、すぐにそらす。
ブレザーを手荒く脱いでハンガーにかけた。

「突然来たと思ったらなんなの? どこで聞いたのっ!」
「松山に聞いた」
「え、美穂ちゃんに?」

予想もしなかった名前に言葉を失う。
二人が会話するとしたら塾だけど、そんなタイミングよく私の話なんて出来るんだろうか。
もしかしたら、私がずっと勉強も上の空できょーちゃんのことを考えてたから、気を遣ってくれたのかもしれない。
その親切は嬉しいけど、空気を読めないきょーちゃんのせいでぶち壊しだ。

きょーちゃんがいるから着替えもできずに制服のまま、きょーちゃんの斜め前に座った。
私をじっと見つめるきょーちゃんの視線に居心地が悪かった。

「澤田と付き合うのか?」
「……そうかもね」

シワになりそうなプリーツを手で伸ばしながら、きょーちゃんに返事をする。
美穂ちゃんには私がどう返事したか伝えてあったのに言わなかったらしい。
自分で解決しろってことだろう。自分にも他人にも厳しい美穂ちゃんらしい。

適当なことを言ったことに気づかれないかドキドキする。
そんな私の様子に何かを感じたのか、きょーちゃんはテーブルに身を乗り出した。

「やめろよ」
「え……」

突然近づいてきたきょーちゃんに鼓動が早くなる。
何か私に都合のいいことを言ってくれるんじゃないかと期待する。

「お前、俺のこと好きじゃなかったのか?」
「……だって、きょーちゃんは私のことなんか好きじゃないじゃない」

きょーちゃんの口から出た言葉にがっかりしながら投げやりに答えた。

好きじゃなかったのかなんて愚問だ。好きに決まってる。
そんなことを今更確認するなんて、きょーちゃんは私の気持ちを甘く見すぎだ。

好きで好きで好きすぎて辛くて、それでもきょーちゃんが好きで。
恋におかしくなっているのだ。

私を思ってくれる優しい祥希くんに縋ることも考えなかったわけじゃない。
そのほうが断然楽だ。
浴びるように愛情を注いでくれるだろう相手に心が揺れた。

でも、私はきょーちゃんが好き。
きょーちゃんは私のことが好きじゃなくて、幼馴染だと思っていても。
一方通行の恋だともう諦めているのだ。
そんな私にわざわざ俺のことが好きだと聞くのか。

いま自分が置かれている状況のひどさに、怒りが膨れ上がる。
頭に血が上っているのか、目眩がする。

「きょーちゃんは私のこと、幼馴染としてしか見てないんだから諦めるしかないじゃない。どうしろっていうのよっ!!」
「はな」
「私だって、私だって、女の子なのに……」

怒りのあまり、言葉が浮かんでこない。

こんなにないがしろにされて、それでもなおきょーちゃんを想っていろとでも言うのか。
そんな傲慢、好きな人でも許せない。

胸がつまって言葉の出ない私を見てきょーちゃんが腰を上げる。
中腰のままこちらに近づいてくるきょーちゃんに私は後ずさる。

「来ないで」
「はな」
「いや、触らないで」

後ずさっても狭い部屋ではすぐに壁にぶつかる。
逃げ場のなくなった私にきょーちゃんは真剣な顔で接近する。
それが怖くて、でたらめに両手を振るうと、それはすぐに大きな手に掴まれた。
びくともしない力に涙がにじむ。

「好きじゃないなら触らないで!」
「なら、問題ないな」
「え」

精一杯の力で怒鳴ると、きょーちゃんは平然とした顔でそう言った。
言葉の意味が分からなくて、私は二の句が告げない。
黙り込んだ私の顔にきょーちゃんの顔が迫る。
それに前会った日を思い出して、強く目を瞑った。

ほどなく触れるおでこの感触。
驚いて目を開け、そこを押さえた。
少し照れたきょーちゃんの顔が目の前にあった。

「今はここまでだ」
「……」
「この前のこともごめん。俺が悪かった」

神妙な顔であやまるきょーちゃんの目をまともに見れない。
恥ずかしいと同時にどこか泣きたかった。

「あと5年待て」
「……どうして?」
「俺の心境的な問題だ」

それがきょーちゃんの答えなのだろう。
私が二十歳に、大人になって何の問題もなくなるまで待っていろというのか。

真面目で融通の利かないきょーちゃんらしい。
そんなところも好きで好きでたまらない。

挑発的な目をするきょーちゃんと視線を合わせた。
これだけ近づけば、言葉にしなくてもきょーちゃんの気持ちは伝わる。

「俺を好きなら5年くらい待てるだろ?」
「……5年後なんて、きょーちゃん、オッサンじゃない」
「オッサン言うな」

にやけそうな顔をどうにか抑えるため、憎まれ口を叩く。

これがいまきょーちゃんにできる最大限の譲歩なのだろう。
大丈夫。10年以上待てた。
あと5年なんて大したことない。

それに今までの10年とは違う。意味のある5年だ。
きょーちゃんを好きでいい、約束のある5年。

嬉しくて、嬉しくて、こらえきれなくて、私は笑った。

「オッサン」
「言うな」
「オッサン、オッサン、オッサン」
「お前なー」

からかう口調の私にきょーちゃんが頭を撫でる。
たまらずその胸に抱きついて顔をうずめた。

「オッサン、でも好き」
「……おう」

やっと叶った恋に涙が出た。






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2011.11.23