アネラ 5.別れた理由




「いらっしゃーい、はなちゃん」
「あなた……誰?」


玄関のチャイムを押して出てきた男の人を見て固まる。
ここはきょーちゃんの家だったはずなのに、なんで知らない人が出てくるのか。
幼馴染の私に教えないで、きょーちゃんは引越しでもしてしまったのか。
そうだとしたらひどい。


「おいっ、雅人っ!」
「あ、きょーちゃん」


妙に綺麗な男の人の後ろからきょーちゃんが顔を出す。
知らぬ間に引越ししてたり、部屋を間違えたわけじゃないらしい。
いつもと変わらない姿を見せるきょーちゃんにホッと息をつく。


「はな、連絡なしにくるのはやめろって言ってるだろ?」
「……ごめんなさい」


男の人をちらりとみて、きょーちゃんは機嫌悪くため息をついた。
それに怯えながら、私は素直に謝る。


きょーちゃんがこんなあからさまに不機嫌なのは珍しい。
もしかしたら、何か癪に障ることをしたのかもしれない。
原因が分からないまま、嫌われたらどうしよう。


あわあわと対応に困っている私に、きょーちゃんは面倒くさそうに口を開いた。


「ちょっと立て込んでるんだ、だから今日は……」
「何言ってるのさ、さっきまで二人でUNOしてただろ」
「余計なこと言うなよ」
「ほら、そこにいたら寒いし、はなちゃんも入って入って」


私を追い返そうとしたきょーちゃんをさえぎって、男の人は私の手を引いた。
それになす術なく、彼に従いきょーちゃんの部屋に入る。
カチリという鍵のしまる音がやけに耳に響く。


「僕は成田雅人。京大の親友だよ」
「……はじめまして、はなです」
「うん、京大から話は聞いてるよ。かわいいね、はなちゃん」
「え……」


顔立ちの整った大人っぽい男の人の言ったことに私はまた固まる。
きょーちゃんの友達に会ったことは何度かあるが、今までにいなかったタイプだ。
少なくとも昔会った人たちには、可愛いなんて言われなかった。
軟派な人は初めてだった。


私たちの会話を聞いていたのか、きょーちゃんが成田さんの肩をがしりと掴んだ。


「おい、中学生を口説くなよ」
「そこに女の子がいたら口説くのが僕の使命だよ、京大」
「はなに近づくな、変態がうつる」


女たらしの鏡のような言葉を紡ぐ成田さんから私の手をきょーちゃんはさらう。
図らずも手をつなぐことになってしまって、嬉しいやら恥ずかしいやら、どんな表情をすればいいか迷う。
少し頬が熱くなってきたかもしれない。


「はな、お茶でいいか?」
「え、あ、……あれ、私帰らなくてもいいの?」
「……もういい」


居間のこたつで私の手を放し、きょーちゃんは台所に立った。
やかん片手に振り返るきょーちゃんに我に返る。
複雑そうな表情で流しに向き合ったきょーちゃんを横目に、成田さんはUNOの散らばるこたつにドカッと腰を下ろした。


「僕と会わせたくなかっただけだよね、京大」
「お前は少し黙ってろ」
「僕みたいな男に会わせたら食べられちゃうとでも思ってたんでしょ」


彼に倣って、私もコートを脱いでこたつに入る。
誰かに冷たいきょーちゃんを初めて見る。
きょーちゃんは基本誰とでも仲良く、波風立てずに生きているように見えるから、とても新鮮だった。


「あいにく僕は中学生には手を出さないよ。高校生からが精一杯さ」
「……来年からはなは高校生なんだが」
「うん、だから楽しみだね、京大」


やかんのお湯の沸いたピーッと言う音が響く。
ガチャガチャという音のあとに、お盆を持ってきょーちゃんが私の右隣に座る。
てきぱきと湯飲みを並べ、緑茶を回しいれていく。
最後の一滴まで注ぎ終わったきょーちゃんは、急須を置いて成田さんを見据えた。


「お前にはやらんぞ」
「え……」


湯飲みに伸ばしてた手をとめ、私は今日三度目の思考停止。
パチパチと瞬きを繰り返して意味を理解し、頬がカッとなった。


きょーちゃんは、もしかして私のことを女の子としてみてくれているのかも。
誰かにとられてはたまらないと想ってくれているのかもしれない。
期待に胸がふくらむ。


緑茶に口をつけ、成田さんは怪訝そうな顔をした。


「何さ京大、散々否定してたクセに君たちつきあってるの?」
「……そんなわけないだろ」


成田さんの言葉をきょーちゃんは呆れた表情で否定する。
きょーちゃんの変化を見ていたくなくて、私は目を伏せる。
手に取った湯飲みの底に茶柱が立っているのをひどく滑稽に思う。


「俺たちは幼馴染だし、年だって離れてる。普通に考えて付き合ってるわけないだろ」
「……」


きょーちゃんの口から出た、隙のない全否定。
私がどれだけきょーちゃんを想っても、報われないのを目の当たりにされる。
少しくらい焦ってほしかったのに冷静に否定して、一分も夢を見させてくれない。
茶化して冗談にしてくれたほうがまだマシだ。


私のことなんて眼中にないんだって自分で言うのはいい。
けれど、本人に言われるのはひどく堪えた。


「京大ってモテないわけだよね」
「は?」


成田さんはこれは駄目だといわんばかりにため息をつく。
そのあと、ちらりと私を見た。

もしかしなくても、彼には私の気持ちはお見通しなのだろう。
知らぬは当人ばかりだ。


何かを思いついたのかぽんと手を叩き、成田さんは私をみてニヤリと笑う。
その笑顔はとても不吉で、嫌な予感しかしない。


「はなちゃんは京大がモテなかったこと知ってる?」
「えっと、知らないですけど?」
「京大ってね、大学のときに告ってきた子をこっぴどい振り方してから女の子から嫌われててね」
「雅人っ、その話はっ!!」


脈絡のないその話を戸惑いながら聞いていると、きょーちゃんが焦ったように成田さんの肩をつかむ。
それにかまわず成田さんは至極楽しそうに話を続けた。


「何て言ってフったと思う?」
「雅人っ!」
「幼馴染の面倒を見なきゃいけないから他の女に構っていられない、って言ったんだって」


成田さんの予想外の言葉に湯飲みを持つ手から力が抜ける。
こぼれる寸前、我に返って持ち直す。
左右にゆれる水面はまるで私の心のようだった。


「ったく、余計なこと言いやがって……はな?」
「……私のせい?」


固まった私の様子に気づいたのか、きょーちゃんは心配そうな顔で私を見た。
その顔が昔からずっと変わっていなくて、私の視界がにじむ。
もう泣くのを我慢できない。


「私の子守頼まれてたせいできょーちゃん恋人の一人も作れなかったの?」
「……はな」
「私、なんて謝ればいいのか」


きょーちゃんの時間をそんな風に奪っていただなんて知らなかった。
好きでやっているものと思っていたから、知ろうともしなかった。


最初は仕方なくだったかもしれないけど、途中からは好きで私の面倒を見ていたんだと思っていたのに。
勘違いだったなんて。
私の存在はきょーちゃんにとって迷惑で邪魔にしかならないなんて。ショックだった。


湯飲みを置いて、てのひらで顔を覆う。
ポロポロと涙が出て止まらなかった。


「雅人」
「はい、何でしょー?」
「お前ちょっとコンビニ行ってこい」
「……どうぞごゆっくりー」


成田さんの気配が玄関の方向へ去っていく。
扉の閉まるバタンという音のあとには、私のすすり泣く声だけが残る。
きょーちゃんが私に向き合う気配がしたけど、私は顔を上げる気にはなれなかった。


「はな」
「……」
「こっち向け、はな」


優しい声音で私を呼ぶきょーちゃん。
私の大好きな人。


そんな人の大事な時間を奪うことしかできない私には、きょーちゃんを好きでいる資格すらないのかもしれない。
でも、私はどれだけ不相応だと身勝手だと言われても、きょーちゃんを諦めることはできなかった。
私は、きょーちゃんじゃなきゃ駄目なのだ。私にはきょーちゃんしかいないのだ。


嫌わないでほしい。邪魔だと思わないで。
お願いだから一緒にいてほしいの。


頭に乗せられた手に顔を覆ってた手をはなして、私は顔を上げた。
相当不細工な顔をしているのか、私の顔をみてきょーちゃんが苦笑する。


「泣くことないだろ……」
「だって、私がきょーちゃんの青春を、んっ!?」


なおも言及しようとする私の口をきょーちゃんは手でふさぐ。
突然のことに混乱する私にきょーちゃんは困った顔をする。


「あいつ、いつも肝心なところを言わないで話をややこしくするんだよ」
「え……?」
「さっき雅人がした話は続きがあるんだ」


私の口から手をはなして、きょーちゃんは頭を撫でた。
その優しい手つきは私をひどく安心させる。


「俺に告ってきたその子はそれでも俺と付き合いたいって言ったんだ。だから、俺たちは付き合うことになって」
「うん……でも、別れちゃったの?」


いまきょーちゃんに彼女がいるって話は聞いたことない。
きょーちゃんに彼女が出来たら、私達の両親経由で話が筒抜けになるはずだ。
前回も前々回もそうだった。


その度にきょーちゃんがその彼女と結婚でもしてしまったらと不安になった。
彼女ならどうにかなると思うけど、奥さんができたら私ももう諦めざるを得ない。


「あーうん、今思えばすげーくだらない理由で喧嘩して」
「……教えてくれないの?」
「……これだけは教えたくなかったんだけど」


話を濁したいのか目をそらすきょーちゃんに私は唇を尖らせる。
また泣かれてはたまらないのだろう、きょーちゃんは大きなため息のあと、恥ずかしそうに言った。


「写真がみつかったんだよ」
「写真?」


きょーちゃんの言葉に私は首を傾げる。
写真が原因で喧嘩して別れるってどういうことだろう。
心底分からない様子の私にきょーちゃんは観念したのか、立ち上がり無造作においてある鞄の中から財布を取り出した。
そこから一枚の紙を抜き取り、私に渡す。


「ほら」
「……これって、私?」
「お前の小さいときの写真」


そこには、私ときょーちゃんが写っている。
背後に小学校がうつっているということは、これはもしかしたら入学式の写真かもしれない。
なんで両親じゃなくてきょーちゃんと写っているのかが分からないけど、私が6歳ってことは、きょーちゃんは18歳。


きょーちゃんと写るのが嬉しいのか、私は満面の笑みできょーちゃんの手を握って。
それが恥ずかしいのか、目をそらすきょーちゃんに、私の頬がゆるむ。
高校生のきょーちゃんなんてもう覚えていないから、写真を見れてとても嬉しい。


食い入るように見つめてる私に照れたのか、きょーちゃんは私の持っていた写真を没収する。


「あ、ひどい」
「また今度な。……これが見つかって振られた。ついでに大学中にロリコンだって噂が立った。これが真相」
「ごっごめんなさっ」
「なんでお前が謝る?」


私のせいでそんな不名誉な噂を立てられたなんていたたまれない。
そもそもきょーちゃんがロリコンだったら、私はこんなに苦労しない。
もっと気楽に好きでいられたかもしれない。


脈がなくて、きょーちゃんの言動にいちいち一喜一憂しなくてすんだかもしれない。
けど、現実はそううまくいかなくて、きょーちゃんは私の気持ちに気づきもしない。
不毛だ。不毛すぎるけど負けない。
いつかきょーちゃんとラブラブになるのが私の夢なのだ。


財布の中に写真を戻し、きょーちゃんはそれを大事そうに鞄に入れる。
その動作に、私ははからずもキュンとしてしまう。


「お前は謝らなくていいよ、俺が写真入れてたのがいけなかったんだし」
「……どうして?」
「ん?」


再度頭を撫でる手にドキマギしながら、きょーちゃんに聞いた。


もしかしたら、何か意味があって写真を入れていたのかもしれない。
きょーちゃんの答えが、私にとって都合のいいものであることを期待する。
そんなものはさっき木っ端微塵に砕かれたばかりなのに、我ながら懲りない。
けれど、恋する乙女としてはどんな些細な可能性にだってかけてみたかった。


「どうして私の写真なんて」
「……どうしてだろうな」


私の質問にきょーちゃんは曖昧に笑う。
そのどっちつかずの態度に、私は続きを聞くことができなかった。






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2011.04.11