アネラ 8.恋愛朴念仁




風呂上り、タオルで髪をかき混ぜながら、ベランダで雪を見てる雅人に話しかける。

「お前さ、すごい年の離れた女と付き合ったことあるか?」
「……うん、あるよ。女子高生とか」

俺の唐突な話題にも動揺ひとつせず、雅人は答えを返す。
その答えが少しくらいおかしかったとしてもいつものことだから気にするだけ損だ。

俺のはんてんを着込んだ雅人がこのクソ寒い中ベランダでたばこをふかしてるのは、部屋に匂いがつくのが嫌で俺が無理やり追い出したからだった。

「どうだった?」
「何が?」

俺がシャワーを浴びてる間ずっと外にいたからか、雅人の鼻の頭は真っ赤になっていた。
その様子が少し不憫に思えて、俺はとりあえず話を中断した。

「……部屋、入れば?」
「じゃあ遠慮なく」

灰皿片手に部屋に入って、雅人は換気扇の下に立つ。
言葉とは裏腹で、律儀に言いつけを守る雅人を横目に、俺は冷蔵庫からパックジュースを取り出した。

「で、何?」
「なんていうか、ためらいはなかったのか?」
「……京大が何を言ってるかよく分からないよ」

雅人は、俺の言っていることが心底分からないとでも言うような顔だ。
逆に俺は雅人が何がわからないのか分からない。

ストローを袋から出し、パックにさして中身をすする。
ちょうどよく冷えた野菜ジュースは風呂上りの渇いた喉に染み渡っていくようだった。

「年の離れた子との恋愛に何か問題があるの?」
「そりゃあ、俺は大人だし法律的にも倫理的にも問題あるだろ」

それに俺は塾講師のはしくれなわけで、年上ならありえても、年下で生徒とか考えられない。
今までだって生徒に好意を持たれることは少なからずあった。
でも、それが幼馴染だなんて、何の悪夢だ。

適当に誤魔化して逃げることなんて出来ない。
真正面から向き合う羽目になるだろう。
考えるだけで頭が痛かった。

「京大、君ね、そんなだから振られるんだよ」
「……それは関係ないだろ」
「大アリだね。……どうせはなちゃんと何かあったんだろう?」
「う……」

妙に鋭い雅人に図星を突かれて黙る。
静かになった俺の様子に何かを悟ったのか、雅人は大きく息を吐く。

「傷つけたの?」
「……」
「図星。嘘がつけないね、京大」

貝のように口を閉じたままの俺に、雅人は灰皿に煙草を押し付け笑った。
その何もかもお見通しとでも言わんばかりの笑顔に腹が立つ。
俺はこいつが何を考えてるのか分からないのに、雅人ばかり俺のことを分かっているようで癪だった。

飲み終わったパックを思い切り潰し、雅人に近づく。
それをゴミ箱に捨て、二本目を吸おうとしてる雅人に手のひらを出した。

「それ、よこせ」
「……やめたんじゃなかったの?」
「むしゃくしゃしてんだよ。吸いたい」
「君は昔からそうだよね。はい」

苦笑しながら渡されたシガレットケース。
一本取り出し、口にくわえ自前のライターで火をつける。

そういえば、部屋の隅でインテリアの一部になっていたこのライターは、昔の女からもらったものだった気がする。
煙草を吸うとこうやって余計なことまで思い出す。

思い切り吸い肺にいれると、苛々が少し収まっていく。
吐き出した煙は、部屋の中にゆるくただよい、換気扇の奥に消えた。

「何があったの?」
「……キスされた」
「ふーん、最近の中学生は積極的だね。それで?」

そんなことは本題じゃないとでも言うように、雅人が続きを促す。
俺が悪いと分かっているだけに、続きは言いたくなかったが、沈黙が俺を責めるようで痛かった。
もしかしたら、雅人は俺のしたことの予測がついているんじゃないかと思う。
ため息をつき、口を開く。

「からかって誤魔化して押し倒したら怒った」
「……最悪だよ、京大」

観念してありのままを話すと、雅人は呆れた視線を寄こす。
説教が始まりそうな気配に、目をそらす。

「君はね、語学だけじゃなく、恋愛のいろはを学ぶべきだよ」
「大きなお世話だ」

そう言い捨てて、煙草の灰をシンクに落とす。
頑なな俺の態度に、雅人は煙を吐きながら言った。

「はなちゃんが大切じゃないのかい?」
「……大切だけど、俺にとっては女じゃない」

大切じゃないわけがない。仲の良い幼馴染。
でも、俺にとっては妹のようなものだ。

はなのの成長をずっと近くで見てきたのだ。
生まれてすぐに会っているし、オムツだって換えたことがある。
おねしょをしたこと、コケて泣いたこと、月経の始まった時期ですら知っている。

そんなはなを女扱いしろということ自体が難しい。
あのときは勢いあまってキスなんてしまったが、それが間違い。
どこかおかしかったのだ。

俺の言葉に雅人はその端正な顔を歪ませる。
そして、俺を哀れむような目で見た。

「僕は悲しいよ、京大。こんなお馬鹿さんが友達だなんて」
「馬鹿って……ヒモなんかやってるお前にだけは言われたくないぞ」

雅人の批判が聞き捨てならなくて反論する。

大学卒業後、就職した俺と違って雅人は院に進んだ。
在学中、そんなに勉強好きにも見えなかった雅人が院に進んだことに驚いたが、それより先に雅人の懐具合を心配した。

雅人の家は母子家庭で、そんなに裕福じゃない。
院に進む金なんかなかったはずなのだ。でも、雅人は院に行った。
その理由を問うと雅人はあっけらかんとした顔で教えてくれたが、とんでもない内容に俺はそのとき飲んでいた茶を噴いた。

嘘つきな雅人の言うこと、どこまでが本当か分かったものじゃないが、雅人にはパトロンがいるらしい。
肉体的な関係はないらしいが、それがまたうさんくさいことこの上なかった。
何が気に入って雅人に金銭援助をしようと思ったのか知らないが、それを聞いたとき俺は頭の中が真っ白になった。
理解できない世界だ。

会ったことはないがそいつの金で雅人は無事修士課程を終え、そして今は博士課程の真っ最中。
まだ続いていることにもげんなりしたが、続く内容に俺はまた茶をふき出した。

なんとパトロンが増えたらしい。しかもそれは一人じゃないのだ。
雅人はそいつらのところを点々としながら、たまに俺のところに顔を出す。
悠々自適なヒモ生活、俺のところに来なくたって行く場所は沢山あるだろうに懲りずにやってくる。

いい加減友人をやめてしまいたいが、腐れ縁だ。
もう諦めている。

「自分に都合が悪くなったら相手の欠点を指摘して話をそらす。君の悪い癖だ」
「……お前も同じことしてるだろ。スルーしろよ、やな奴だな」
「僕は君の言うとおり嫌な奴だからね、スルーなんてしてやらないよ」

さっきの指摘がよほど気に障ったらしい。
こいつが意地の悪いねっとりとした言い回しをするときは、たいてい怒っている。
笑っているはずの目の威圧感に負ける。

雅人は怒れば怒るほど冷静になるタイプらしく、俺はこいつとの口論で勝てた試しがない。
今回も勝てないだろう。
特に、今回は自分が悪い。勝てるはずがないのだ。

「そのー……悪かった……」
「……まぁ、すぐ謝れるようになったんだから進歩してるかな。昔はもっと頑固だった」
「……」

素直に折れた俺が珍しいのか、雅人は嬉しそうに笑う。
そのむずがゆい態度に俺は無言のまま、煙草をくゆらせた。

謝ると負けた気がして、昔はめったに謝罪なんかしなかった。
けど、27にもなれば人間変わるものだ。丸くもなる。

良くも悪くも俺は大人になった。
あの頃、嫌悪していたいい加減な大人になってしまったのだ。

今だって、はなとの微妙な関係をどう穏便にすませるかで頭がいっぱいだ。
俺たちは幼馴染だ。下手したら、親まで巻き込む大騒動になる。
そうなったら、年上の俺が責められるのは必至で、こういうとき幼馴染とはやっかいだと実感する。

いい点もないわけじゃないが、総じて女は面倒くさいのだ。
俗に言う『痴情のもつれ』が嫌で、最近は女と距離を置いていたのに。
とんだところに地雷があったものだ。

俺の考えていることなど手に取るようにわかるのだろう。
クスクスと面白そうに雅人が笑う。

「宿題をあげるよ、京大。得意だったろう? はなちゃんに謝りに行くんだ」
「……言われなくても行くつもりだった」

はなともう三週間も会ってなかった。
いつもはなが会いに来るから分からなかった。
俺たちはどちらかが会いたいと思わなければ、こんなにも遠いのだ。

年齢も離れてるし、共通の友人もいない。
幼馴染という細い細いつながりだけが俺たちを支えているに過ぎない。

このままだと、もうずっと会わなくなるだろう。
はなはあれで頑固だ。

俺が折れなきゃいつまでも平行線。
謝りにいかなければいけなかった。

「誤魔化さずに返事もするんだよ」
「分かってる」
「本当かな? 君は結構朴念仁だからなー」

雅人が疑り深い顔で煙草をふかす。
その態度が少し気に障って、俺は灰皿に短くなった煙草を押し付けた。

「朴念仁?」
「女ごころがわからないってことさ」

雅人の言葉に首を傾げながら、窓を開ける。
暖かい部屋に外気が入り込み、雅人が寒そうに肩を縮こませた。
それにしてやったりと思った。

「お前みたいに女たらしこむの上手くないからな」
「……僕のことを悪い男みたいに言わないでくれない?」

俺の言葉が気に食わないのか、雅人は不機嫌顔だ。
でも、事実だ。

雅人の女癖は在学中からひどかった。
基本来るもの拒まず去るもの追わずで、女受けする甘い顔立ち。
何度相談を受け、告白の手伝いをし、修羅場に巻き込まれたことか。

雅人はあのときのまま何も変わらない。
もしかしたら、この何年間の間にパワーアップしているかもしれない。
そう考えると最悪だ。

「実際たらしこんでヒモになってるだろ」
「それはね、京大。彼女たちが僕の世話がしたいっていうから、喜んでお世話になっているだけだよ」

何にも分からないといった無害そうな顔をして、そうやって女を騙してきたんだろう。

今はその能力が少しだけうらやましい。
俺にもこいつぐらいの器用さがあれば、あんな風にはなを泣かさないですんだのかもしれない。

でも、それを言うとなんだか負けたようでプライドが邪魔をする。
俺は本心を隠すために冷たく言い捨てた。

「いつか刺されろ」
「君が泣いてくれるなら、それもいいかもしれないね」
「お前、キモい」

雅人の本気っぽい目に鳥肌が立つ。
開けっ放しの窓に合点がいって、俺は窓を閉めた。






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2011.07.22