誘惑カムフラージュ 第二話




「緊張する……」

あのあと珠希に紹介され、無事にバイトが決まった。
代わりを探している暇もないし、珠希の友人ということもあり即時採用。
せっかくのバレンタインなのに予定が入ってしまった。

「まぁ、相手もいないんだけどね」

自虐的な私の言葉が、誰もいない更衣室に響く。
珠希のおばさんデザインの可愛いハートのエプロンがいたたまれない。
鏡に映る自分の姿はひどく、何でも着こなしてきた私としては少し屈辱的。

もしかしたら、珠希はこれが嫌で今年のバイトを私に押し付けてきたのかもしれない。
まぁ、多分それだけじゃないんだろうけれど。

背中の蝶々結びを確認して、更衣室を出た。
珠希のおばさんが待っている奥の倉庫に急ぐ。
鉄製の扉、大きくノックし、ドアを開けた。

おばさんともう一人、エプロンをつけた背中。
私と変わらない背丈、くしゃっとしたくせっ毛の栗色。
振り返ったその顔に見覚えがあって、私は絶句する。

「あれ、みどりちゃんじゃないか?」
「どうして……」

理由なんて問うまでもない。はめられたのだ。
珠希はこれを知っていたから、私にバイトを押し付けたのか。
あとで電話で問いただすしかあるまい。
その前に彼に聞かなければ。

「どうし――」
「やっと来たね。池宮さん、松岡くん、ほら仕事教えるから来て」
「あ……はい」

珠希のおばさんに話しかけられ、聞きたかったことは聞けず仕舞い。
覚えることがいっぱいで、結局仕事が終わるまで一度も話しかけることが出来なかった。


***


「久しぶり」
「松岡くん……」

バイト先の出口で待っていた人に、私は呆然と名前をよんだ。

松岡銀くん。
中学時代の友人だった。

私の言葉に機嫌を損ねたのか、松岡くんは拗ねた顔をした。

「そんな他人行儀な呼び方ヤダよ。昔みたいに呼んで」
「銀……くん?」
「はい、よく出来ました」

子供にするような褒め方。
もう子供じゃないんだし呼び捨てにするのも恥ずかしいと言っても聞き入れてもらえなさそうだった。

しっかりとコートを羽織った銀くんに促され、帰り道をてくてくと歩く。
二人肩を並べて歩くなんて何年ぶりだろう。
中学時代に戻ったみたいだった。

「変わってないね、みどりちゃん」
「銀くんこそ……」

私と変わらない背丈。
男としては可愛らしい顔立ちにくしゃくしゃの髪。
女の子より可愛いと噂の先輩たちのアイドルは今も健在のようだった。

「学校はどう? 珠希も梗子も一緒なんだよね?」
「うん、3人で仲良くしてるよ」

みんな同じクラスだった。
仲良くしてたけど、高校では離ればなれ。
私たちは一緒だったけれど、銀くんとは3年ぶりくらいだ。

「同じところにすんでるはずなのに、全然会わなかったよ」
「……そうだね」

それは私が意図的に銀くんを避けていたからだ。
会いたくもなかった。
このまま当分傷が癒えるまでは会わないでいたかったのに。珠希め、余計なことを。
これ以上余計なことを言われる前に、話を逸らそう。

「そそういえば、銀くんはセンターどうだった?」
「うん、まずまずだった」

選んだ話題のまずさに気づいたけど、銀くんは気を悪くした様子もなく普通の受け答え。
受験前のピリピリした雰囲気はない。
そもそもこの大事な時期にバイトを入れられたのだ。
もしかしたらもう合格している可能性があった。

「進路は?」
「え、あ、……珠希と私は進学で、梗子は家を手伝うって」

銀くんの進路を聞こうと思ったら、逆に質問を返される。
戸惑いながらも答えると、銀くんは首をかしげた。

「蕎麦屋さん?」
「うん、お父さんが腰を悪くしちゃったらしくて急遽進路を変えたの」
「梗子らしいね……」
「うん……」

一人娘で父親っ子の梗子。
男手ひとつで育て上げてくれた父親に親孝行がしたいと言い出したときは思わず抱きしめた。
しっかりもので、冷静で、でも時々涙もろくて。
そんな梗子が決めた進路だ。応援しようと決めた。

「みどりちゃんは?」
「え……」
「中学のときと同じで女医になるつもり?」

銀くんの言葉に、驚きであいた口がふさがらなかった。
そんな昔の話を覚えているだなんて思わなかった。

一時期、医者になろうと思っていたことがある。
顔も頭もいい女医とかカッコいいなとか、今思えば赤面ものの夢を抱いていた。

けれど、顔は生まれつき。対して頭の良さは努力と才能で成り立っている。
ある程度まではどうにかできても、限界がある。

私はクラスで10番くらいに入ればいいくらい。
いい方ではあると思うけど、特別取り上げるところがない。
成績表は8と9のオンパレード。悪くはないし、進学するのに支障はなかった。
けれど、医者になるには私の頭は足りないのだとこの三年間で気づいた。

銀くんはおとなしく私の返答を待っている。
昔話を覚えていた彼の期待を裏切らない答えだといい。
口を開いた。

「ううん、看護士になりたいから、看護学科」
「……そっか。そうだよね、もうあれから3年も経ったね」

私の答えを聞いて、銀くんは寂しそうな顔をした。

期待を裏切って悪いけど、医者にはなれなくても、医療に関わる方法はいくらでもある。
それに志はちっとも変わっていない。

誰かの役に立てる仕事に就きたかった。
顔で評価されるのでなく、やったことで評価されたい。ずっとそう思っていた。

だから、告白してくる人を拒絶し続けたのかもしれない。
知り合いでもないのに、好きだという神経が理解できなかった。
どうせ私の顔が好きなだけで、中身なんてどうでもいいと言われているみたいで嫌だったのだ。

思えば、私の周りに残っているのはみんな、私の顔なんてどうでもいいと思っている人だけだった。
私の中身を好いてくれて、一緒にいてくれる。
銀くんもその中の一人だった。

「銀くんは?」
「僕は……とりあえず大学に進む予定」

聞きたかったことを聞けてひとまず満足する。
もう志望校に受かっているんだと思う。
ホッとして、私は息をついた。

「珠希と同じだね」
「珠希は修と同じ大学?」
「うん、学科は違うけどね。離れたくないんだって」

甘えたがりの珠希に頼まれて、自分のレベルより上の学校を受ける羽目になった修くんに少し同情する。
でも、そこは愛の力で二人で乗り越えていってほしい。
あの二人は私の夢だ。どうかいつまでもそのままでいてくれたらいい。

私の少し落ち込んだ気分に気づいたのか、銀くんは私の名前を呼んだ。

「みどりちゃん、ど――」
「じゃあ、私はこっちだから」

銀くんの口から出る言葉が予想できて、私はそれをさえぎる。

私たちはちょうど馴染みのあるT字路に差し掛かっていた。
中学時代よく帰った道筋。
ここで二人が分かれることも知っている。

「じゃあね、銀くん」

返事を聞かずに背を向ける。
余計なことを耳に挟みたくなかった。

「みどりちゃん!!」

私の背中に大きな声。
驚いて振り返ると、銀くんは楽しそうに笑っていた。

「みどりちゃんがどう思ってるか知らないけど、僕はまた会えて嬉しかったよ」
「……」
「じゃあ、また明日」

そう言って、銀くんは颯爽と去っていく。
マフラーに包まれたほっぺた、さっきとは別の意味で火照っていく。

彼の言葉には何の含みもない。単純に旧友に会えて嬉しかっただけだろう。
でも、期待する。

そうやっていろんな女に愛想を振りまいて、無駄にファンを増やしてきたのだろう。
この天然タラシ男め。

「私のこと振ったくせに……バカ」

まだ好きだなんて、私のほうが馬鹿みたいだ。






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2012.02.14