誘惑カムフラージュ 第五話




入ってすぐの挨拶もままならない状況で商品の補充を頼まれた。
売り場は慌ただしいようで銀くんの背中をちらりと見ただけ。
バックヤードまで急ぐと、後ろからは珠希のおばさんが追いかけてきて私を一目見て言った。

「今日は顔色悪くないね」
「はい。昨日は早退しちゃってすみません」

珠希のおばさんに頭を下げる。
そんな私の様子に満足したのか、珠希のおばさんが手元のメモを見ながら倉庫を漁る。
私の両手に大きなカゴを持たせそこに足りない商品を乗せていく。
チョコレートだからそんなに重くないけれど、床に落としそうで怖い。
こんなことならもう少し鍛えておけばよかった。

「元気になったならいいよ」
「ありがとうございます」

ちょっとだけ腑に落ちないって顔をして、またカゴに商品を乗せた。

多分、私の髪が短くなったことが気になっているのかもしれない。
しかもバレンタインの前日だ。絶対何かあったに違いないと思うだろう。
でも、珠希のおばさんは聞いてこなかった。
そのやさしさが嬉しい。

「その代わり、今日は売って売って売りまくるんだよ!」
「はい!」

元気いっぱいに返事をして、私たちはまた売り場に戻った。


***


「お疲れ様です」

バイトも無事に終わり、挨拶も済まし、あとは帰るだけだ。
銀くんはもう帰ってしまったみたいで、紙袋に入ったチョコを片手に途方に暮れる。
このチョコレート、どうしたものか。
自分で食べるのは虚しいし、だからといって誰かに押し付けるのも違う気がする。
最悪お父さん宛ってことにして渡してしまおう。それがいい。

そう決めて、店を出る。
外はかなり寒くて、手袋を持ってくるのを忘れてしまったのを後悔した。
吐く息で手を温めながら歩くと、少し離れた場所に銀くんが佇んでいた。

「みどりちゃん」

名前を呼んだってことは、私を待っていてくれたんだろうか。
でも、理由が分からない。

「どうしたの?」
「みどりちゃんと帰ろうと思って」

そう言う銀くんの吐く息が白かった。
彼が店を出てから大分経っている。
帰るよう視線で促すと、彼は私の後ろをゆっくりとついてきた。

「寒かったでしょう?」
「うん、でも、今日で最後だから」

銀くんの言葉に胸がちくりと痛んだ。

俯きつつも、足は勝手に前に進む。
今日が最後。高校は違うし、大学だって私は女子大だ。
中学校が同じだっただけの一度振られてしまった相手。
きっともう会えない。

こんなチャンスは二度とない。
告白するべきなんじゃないのか。
今回はバレンタインっていう口実もある。
チョコレートだって準備した。味見もした。美味しいはずだ。
期待はしない。ちゃんと振られるためだ。
だって、もう二度と――

決意を込めて、顔を上げる。

「みどりちゃん、髪切っちゃったんだね」
「え? うん、少し長かったからね」
「寒くない?」
「うん、平気」

告白しようとした矢先、出鼻を挫かれてしまう。
しかも、触れられたくなかったことだ。
バレンタイン前日に女子が髪を切ってきてるのだ。何か事情があると思うだろう。

それとも、そんなことにも思い当たらないほど、銀くんにとって私はどうでもいい子なのか。
気遣う必要もないほど、私は歯牙にもかかっていないのか。

当たり前だ。銀くんには彼女がいる。
昨日チョコを買いに来てた。銀くん少し照れてた。
あんなに仲良さげだったのだ。私は眼中にもないはずだ。

思い出して、暗い気分になる。
帰りに少し待っててくれたぐらいでどうして舞い上がってしまったのか。
思い上がりが恥ずかしい。

せっかく上げた顔、また地面を向いてしまう。

「長い方が可愛かったのに」
「そっ、そうかな……」

後頭部にかけられた銀くんの言葉に、追い討ちをかけられる。

もう切ってしまったのだ。今更言われて遅い。
彼の好みがやっぱりロングヘアだったとしても戻せない。
私が銀くんに好かれようなんて土台無理な願いだったのだ。

だって、昨日銀くんに笑いかけてたあの子は髪の毛が長かった。
今の私とは違う。

髪を無意識にかきあげようとして、そんなに長くないことに気づいて、心がさらに沈んだ。
そうこうしている内に、例のT字路に差し掛かってしまう。
ここでお別れ。もう会えないかもしれない。

「じゃあ、みどりちゃん、ここで」
「あの、銀くん」
「どうしたの?」

ありったけの勇気を振り絞って、手に持った紙袋を銀くんに差し出す。
頑張って焼いたガトーショコラだ。
神様、どうか受け取ってもらえますように。

「これ……チョコなんだけど、受け取って欲しい」
「わぁ、ありがとう」

リアクションは思ったよりもよくて拍子抜けした。
てっきりもらってくれないと思い込んでいたのだ。
子供のように無邪気に微笑む銀くんに作ってよかったと思った。

「みどりちゃんからもらえるなんて思ってなかった。嬉しいよ」
「よかった」
「これ、友チョコだよね?」

にっこりと笑う銀くんとは対称的に、私はフリーズしてしまう。

友チョコって女友達にあげるチョコレートだったはず。
銀くんは女子じゃないし、私は彼に一回告白しているのだ。
友達だなんて思えたことがない。

"友達"の銀くんに作ったんじゃない。
"好きな人"のために作ったんだ。

銀くんの手からチョコレートの紙袋をぶんどる。
そして、衝動のまま、それを地面にたたきつけた。

「み、みどりちゃん!?」
「友チョコなんかじゃないっ!!」

怒鳴りつけて、そのまま踵を返す。
最初は早足、次第に足が走り出す。どうせ家はすぐそこだ。
冷たい風が私の頬をかすめていく。

「待ってよ、みどりちゃん」

後ろから声が響くけど無視だ。
もう彼なんて嫌い。大嫌い。

「やっと追いついた」

腕を掴まれ、痛みに立ち止まる。
そこはもう自宅の前だった。

「何?」
「友チョコじゃないってどういうこと?」
「……知らない」

答えるのも億劫で、私は視線をそらす。

友チョコだと思いたいなら、勝手に思ってたらいい。
本命だと期待されさえしなかった。
私は二度目の失恋をしたのだ。放っておいてほしい。

頑なに俯く私に、銀くんはため息をついた。

「僕知ってたよ。みどりちゃんが僕を忘れられないこと」
「なっ」
「高校でもモテてたって聞いた。それを全部振ったことも知ってる」

銀くんが口にしたことに動転する。
どうして、誰が、銀くんにそんなことを言ったのか。
リークした人間は、珠希か梗子。それとも修君だろうか。

「誰が言ったの」
「そんなのいまどうでもいいじゃん」

投げやりに言う銀くんにさらに驚きが増す。
私が好きだったこの人は、こんな喋り方をしただろうか。
もっと丁寧で、柔らかで、みんなのアイドルみたいな人だったのに。

なのにどうして、私は塀を背に追い詰められているのだろう。
どうして吐息が顔にかかるくらい近くに銀くんの顔があるのか。
思いがけない事態にパニックに陥りそうだった。

「友チョコじゃないなら、これ何のチョコ?」
「言わない」
「言ってよ」

甘い声音で私を促す銀くんに、顔が赤くなるのがわかる。
身長が同じくらいだから、視線をあげるとすぐ目が合ってしまう。
理性が茹で上がりそうだ。

「素直になりなよ」
「やだ」
「ね、みどりちゃん」
「……っ!? 本命チョコなのっ!」

耐え切れず、本当のことを言ってしまう。
それにしまったと思っても遅い。
銀くんは愉しげに破顔した。

「本命?」
「……はい」
「僕のこと、好き?」

獲物を追い詰める肉食獣のような瞳。
背筋がぞわりとした。

「何か、銀くん怖い」
「怖くない。僕は元々こういう人間なんだ」
「隠してたの?」
「違うよ、君が気づかなかっただけ」

ああ私はなんて人を好きになったのか。
可愛いアイドルじゃない。この人は男の人だ。

「ねぇ、僕のこと、好きでしょう?」
「……」
「好きって言ってよ、みどりちゃん」

唇が触れ合いそうな距離で、脅すように言われたら、こう答えるしかないじゃないか。

「銀くんが好き――んっ!?」

唇を思い切りついばまれて、呼吸ができなくなる。
銀くんが手に持ったチョコレートがまた地面に落ちる。
喰われるような長いキスのあと、銀くんは僕も好きと囁いた。






アトガキ

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2014.02.14