敬愛のアンジャベル 3




ノックをしてすぐに届いた返事に、私は重厚な扉を開ける。
ポストに入っていた封筒を大きなデスクの上に放り投げるように置いた。

「親展?」
「あぁ、邦彰宛だ」

私が置いた封筒をさして興味もなさそうに見つめ、邦彰は手招きをする。
それに私は心底嫌な顔をしながらも、近づく。
好奇心と茶目っ気たっぷりの顔で笑う我らが社長は、開口一番にいつもと同じ質問をした。

「どうだ? 彼女とうまくやってるか?」
「……ぼちぼちだ」

前回と一言一句同じ言葉に、私は苦々しく呟く。
その回答につまらなさそうな顔をして、邦彰は机の中からの煙草に手をとる。

「ここは禁煙だ」
「……ケチだな、お前」

邦彰の指に挟まれた火のつけられていない煙草をとりあげゴミ箱に捨てる。
ついでにデスクの上に置いてあったシガレットケースも没収する。
そんな私の動作を口を出さず見守っていた邦彰は、不満そうに口をへの字に曲げた。

「……えらく不機嫌だな? どうした?」
「……なんか、男できたみたいだ」

なるべく冷静に聞こえるように、何とも思っていない風を装って私は呟く。
その私の言葉に何かを察し、邦彰は面白いことを見つけた子供のように笑った。

「ふーん。どんな奴?」
「俺が知るか……」

私が自分のことを『俺』と呼ぶのが面白いのか、邦彰はクスリと笑う。
めったに崩れない私の敬語が今はないのも面白いのだろう。
ひとしきり笑った邦彰は、ふと真面目な顔になって、デスクの上の写真立てを見つめる。
そこにはこの会社を設立した当初の私たちがいて、今は亡き哲哉の姿もあった。

「7年、か……」
「あぁ、それだけの時間が経った。哲哉から解放するべきだろう」

この7年。色々なことがあった。
三回、融資が受けれなくなって。一回、倒産しそうになった。
それでも何とか持ち直して、今のここがある。

当時とは社名も変わり、哲哉の残したものはゆっくりと消えつつある。
これだけの時間が経てば、変わらずにいられるものの方が少ない。
そして今、哲哉が最も愛した女性は、また他の誰かを愛する道を選んだのだ。

綺羅さまが悩んだ上に歩み始めた道を応援したい。
それと同時に、いつまでも哲哉を愛していてほしいとも思った。

でないと、私は自分も愛されるかもしれないと期待してしまう。
私も、綺羅さまの本名を呼べるようになりたいと願ってしまうのだ。

でもそれはダメだ。
封印すると、私はこの気持ちを告げないことを決めたのだ。
今さらそれを覆して、私は一体何をしようというのか。
綺羅さまにはもう他の相手がいるというのに。

つくづく私はタイミングを間違う男だ。
もしかしたら、数ある未来のうちに綺羅さまと結ばれる未来もあったかもしれないのに。
私はその機会を見逃して、あとから出会ったどこの馬の骨とも知れない男に綺羅さまを取られてしまった。

あぁ、これは嫉妬だ。
私が絶対に手に入れられないものを手にしてしまった誰かに対する。
目も当てられないような黒い感情。

けれど、元々土俵にすら乗っていなかった私に、嫉妬する権利はない。
綺麗事を並べて、自分の気持ちを封印した私には、好きだと告げる権利すらないのだ。

暗い表情をする私を、邦彰は心配そうに見つめる。
その目は昔となんら変わらなくて、そんな些細なことに私はひどく安心した。

「お前は、もういいのか?」
「……あぁ、もういいんだ」

いつかは笑って、この恋を話せる日が訪れるだろう。
その時まで、やはり私は自分の気持ちを封印しておくことにしよう。
綺羅さまのことは好きだが、きっとそれだけでは何かが足りなかったのだ。

思い出す、綺羅さまの笑顔。
月光のような髪が光を反射する様を、私は傍で見守ることにした。
亡き哲哉の親友の一人として。

「最近、すごく幸せそうだから、それでいい」
「和宏……」

今は、綺羅さまの隣にいる誰かが、綺羅さまを幸せにしてくれることを祈る。
綺羅さまが泣いてしまうことがないように。
その心を曇らせて、笑顔がかげることがないように。
哲哉の代わりに、私の代わりに、どうか幸せにしてあげてほしい。

「綺羅さまが笑っていられるなら、それでいいんだ」

綺羅さま。
今度はあなたが、この世で誰よりも、幸せになることを祈ります。

社長室の窓から煌々と輝く大きな月が見えて。
私はそれを見て、静かに一筋、涙を零した。






アトガキ

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2009.03.03