秋の菖蒲(あやめ) 水無月編<2>




「おかわりー」
「またぁ?」

通算四回目になるおかわりを要求する俺に、菖蒲が呆れた視線を寄越す。
俺の出したとんすいを手に取り、おたまで鍋をさらう。
中まで出汁の染みた鶏肉と肉団子。しんなりした水菜に椎茸。
花形に抜かれた人参が入った器を受け取る。

「これから雑炊なんだけど」
「大丈夫。食べれるよ」

そう言いながら、とんすいの中の白菜を口に放り込む。
何度食べても美味い。
奥に紛れ込んでいた豆腐を口に含むと、すこし熱くて慌てて水を飲んだ。
二度目は箸で小さく切って、ポン酢醤油につけて食べた。やっぱり美味い。

「どんだけ食べるの」
「だってー、菖蒲ちゃんの作る料理が美味しくて」
「……言ってろ」

本当のことを言ったら機嫌を損ねたのか、菖蒲の口調が荒くなる。
こちらを見ない横顔は一見平然としているように見えるが、赤い耳のせいで台無しだ。
照れてかわいい。
すました表情のまま、ソノちゃんに手を差し出す菖蒲。

「ソノちゃんはおかわりは?」
「んーじゃあちょっと」

とんすいを受け取り、菖蒲は俺のよりだいぶ少なめに盛った。

「はい、これくらい?」
「うんありがと」

なんて事ないやりとりだけど、違和感を覚えた。
いつもは少し大人びた菖蒲だけど、ソノちゃんと話すときは年相応だ。
背伸びをしていないというか、『女子高生』っぽい。

もしかしたら、俺といるときは無理をしてるのかもしれない。
それが俺に恋しているゆえの見栄なら嬉しいが、きっと違うんだろうなと思った。

「菖蒲」

俺が呼ぶと、お玉を持ったままこちらを向いた。
その一瞬で大人の仮面を被る。表情はわずかに硬い。
ソノちゃんといるときの親しみやすさはなりを潜め、菖蒲は薄皮を張ったようだった。
なんだか面白くない。

無防備な左手をそっと掴むと、菖蒲はきょとんとした顔で俺を見つめる。
予期せぬ上目遣いに胸をドキマギさせながら、左手を菖蒲の指に絡めた。

しっとりした肌触りを楽しみつつ、中指で甲を撫でた。
ピクリと反応する菖蒲に気をよくして、すりすりと動く本数を増やす。
じわっと汗ばんできたのは俺の手か、菖蒲の手か。

ため息が正面から響いたけど、あえてそちらは向かなかった。

「あたしを無視するのやめてくださいよ、荻原さん」
「秋斗でいいよ、ソノちゃん」

呆れた口調のソノちゃんを尻目に、菖蒲の手を軽く握る。
桜色の爪が、俺が動くたびに頼りなく揺れる。
菖蒲はさっきからうつむいて顔を上げない。

「いえ、彼氏じゃない男の人呼び捨てにするのは嫌なので」
「お堅いことだ」

軽くあしらう俺にムッとしたのかソノちゃんの態度も硬化する。
外行きの顔はとっくに崩れて、俺は繕うことをやめた。

自分が優しくしてもらえないからって八つ当たりみたいなことして子供みたいだ。
好きな子の友達に嫉妬して軽んじるとか、いい年の大人のすることじゃない。
でも、仕方ないじゃないか。菖蒲が悪い。

自分を正当化させる俺に、いい加減しびれを切らしたのか、菖蒲がきりっと眦をあげた。

「手放しなさい!」
「おや、残念」

思い切り爪を立てられて手を放す。
痛みに耐えてまで握っていられるほど俺はタフじゃなかった。

尻尾を立てた猫のように、こちらに警戒心を露わにする菖蒲。
あーまったく熟れたヤマモモみたいに頬を染めて。
手を必死に握り締めちゃって可愛い。

菖蒲は俺を無意識に煽る。ここにソノちゃんがいてよかった。

「アヤちゃん、鍋」
「あっ」

照れていたのも束の間、菖蒲は鍋を慌ててかき混ぜる。
ちらりと覗き込めば、ごはんはもう投入してあったようで、あとは溶き卵を入れてしばらく待つだけだった。

「美味しいものが食べたいんだったら、鍋奉行の邪魔しちゃ駄目ですよ」
「……すみません」

もっともなソノちゃんのお説教に、俺は反論を諦めて丁寧に謝る。
雑炊の準備が終わったのか、菖蒲がカセットコンロの火を止めた。

「後は余熱で。ありがとソノちゃん。あと少しで焦げてたかも」
「ごめんね、菖蒲ちゃん」
「……いっぱい作ったんだから、はやく皿開けて」

友人の前でからかわれたのが腹に据えかねたのか、菖蒲はつんとした態度。
いつも通り冷たい彼女に言われた通り、まだ空になっていないとんすいに手をつける。

「あの、荻原さん」
「ん?」

勢いよく食べていると、ソノちゃんに話しかけられ箸が止まる。
じっとこちらを見つめる視線に眉を上げる。

「アヤちゃんのこと好きですか?」
「そっ、ソノちゃん!?」

突然の問いかけに菖蒲がうろたえる。
それを横目で見ながら、俺は素直に答えた。

「うん、好きだけど」
「……じゃあ、どうしてデートに連れてってあげないんですか?」
「ソノちゃん!」

顔を真っ赤にして大声を上げる菖蒲。
その珍しさに驚きつつ、ソノちゃんに一応弁解する。

「仕事帰りとかに会ったりはするけど」
「それ、デートじゃないじゃないですか」
「……そうなんだ」

俺としてはデートのつもりだったのだが、女子高校生から見ると違うらしい。

そういわれて見れば、デートらしいデートなんかしたことない。
菖蒲の買い物に付き合ってスーパーに行ったり、朝かバイト帰りに付きまとって少し話をするぐらいだ。
母親が一緒のときは、今日みたいに晩飯に招待されたりするが、それはあくまで一人暮らしの俺を気遣っているだけな気がする。
あくまで近所づきあいの延長だ。

俺とソノちゃんの間で縮こまる菖蒲に、笑いをこらえつつ話しかける。

「デートしたかったの?」

俯いた菖蒲の髪の隙間から、赤く染まった耳がちらりとのぞく。
無言の肯定。全く可愛くて仕方ない。

「じゃあ、デートしようか」
「いいですね。荻原さん、提案があります」

菖蒲に言ったつもりだったのに、ソノちゃんに返事をされて、俺は目を白黒させる。
第一印象はおとなしそうな子だったけれど、結構強引なところもあるようだった。

「聞こうか」
「ここに二枚のチケットがあります」
「うん」
菖蒲(しょうぶ)園の招待券です。一人で行こうと思ってたんですが差しあげます」
「これを使って二人で行って来いって訳ね」

取り出したチケットを俺の手に乗せ、正解と言わんばかりにソノちゃんは微笑む。

菖蒲とはタイプの違う友達だったから少し気がかりだったが、友達思いのイイ子だ。
中々素直になれない菖蒲を学校でもカバーしているんだろうなと思った。

何重にも意味を込めて、俺はソノちゃんにお礼を言った。

「ありがとう、ソノちゃん」
「いいえ、お土産待ってます」
「ちゃっかりしてるなー」
「要領がいいって言って下さいよ」

打ち解けてきた俺たちの真ん中で菖蒲が顔を上げる。

「あの」
「どうした?」

不満そうなその顔に二人で首を傾げる。
俺たちの仕草が気に食わなかったのか、菖蒲は唇をへの字に曲げた。

「私を無視しないでよ」

それがスーパーで言ったソノちゃんの言葉と一緒で、俺とソノちゃんは顔を見合わせて吹き出す。
みるみる降下していく機嫌に、友人同士とはやっぱり似ているものなのだと笑った。







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2013.10.25