秋の菖蒲(あやめ) 自宅編<1>




「ついて来ないで!!」
「えーだって、こんな夜道を女の子一人じゃ心配だし」
「いざとなったらどうにでもなるわ。しつこい」

街灯のともる住宅街。
薄暗い帰り道を小走りに歩く菖蒲のあとを、俺は早足で追う。
急いでいるのか、コンビニを発ってから、菖蒲は一度も振り返ってくれなかった。

「でもさ、どうせ隣のアパートまでだし送らせてよ」
「……勝手にすれば」

俺の言葉に、菖蒲は唐突にスピードを落とす。
その隣を同じように減速して歩きながら、俺は菖蒲の横顔をちらりと見る。
乾燥してかさついた唇から白い息を吐く。
寒さに赤く染まった頬に、汗をかいているのかしっとりとした横顔は、今日も相変わらず美しい。

お互いに無言のまま歩いていると、アパートの門が見えてくる。
家に着いた安堵か、歩調を早くする菖蒲に続いて、俺も門をくぐった。
数日前の雪が残る庭を通り、菖蒲の部屋にたどり着く。
ドアの近くに立っていた人物に、菖蒲は歩みを止める。

「母さん……」
「あら、菖蒲。おかえりなさい」
「……何で外にいるのよ?」

家の前で鍵を取り出した母親に、菖蒲はこちらを振り返ることなく駆け寄る。
俺の存在をまるっきり忘れきったその行動に、涙がちょちょ切れそうだ。

「風邪引いてるんだから、寝てなくちゃダメって言ったでしょう?」
「えぇ、でもね、突然ゼリーが食べたくなって……」
「そんなの私が買ってくるから、母さんは休んでてよ。明日も仕事いけなくなっちゃうでしょ」
「そうね、ごめんなさい」

コンビニの袋を抱えてしょんぼりする母親と、呆れながらも心配する菖蒲は、どう見ても立場が反対だ。
それに思わず笑いが込み上げる。
笑い声に気づいたのか、母親はこちらに視線を寄越した。

「あら、あなたは……荻原さん?」
「え……」
「ご無沙汰しております、お母さん」

驚いた様子の菖蒲を視界に入れつつも、俺は彼女の母親に挨拶をする。
にこりと営業スマイルを浮かべると、母親はその細くて頼りなさそうな身体を二つに折った。

「いつも菖蒲がお世話になってます」
「いいえ、こちらこそ菖蒲さんに迷惑ばかりかけていて……」

頭を下げ合う俺と母親に、菖蒲は目を白黒させる。
その様は、普段のつんとすました菖蒲とは程遠く、とても微笑ましかった。

「母さんっ!!」
「……菖蒲。そんな怒った顔して、どうしたの?」
「そっ、そいつといつの間に知り合いになったのよっ!!」

動転しているのか、菖蒲はどもりながらビシッと俺を指差す。
人を指差しちゃいけないんだぞと思う俺を尻目に、母親は困った顔をした。

「そいつなんて言っちゃダメよ。恋人なんでしょう?」
「こっ恋人っ!?」
「あら、照れてるのね。荻原さんはね、この前挨拶に来てくれたのよ」
「な、なんて?」

蒼白な顔で母親に尋ねる菖蒲の横に回って、手を握る。
それを振り払おうとする前に、俺はにこりと笑って言った。

「菖蒲さんとお付き合いしていますって」
「あ、あんたそんな勝手に!!」

俺に握られた手を無理やり引き剥がし菖蒲は、俺を思い切り睨む。
その顔すらもかわいいと思うんだから、俺もそうとう恋に参っている。
そんな俺たちの様子に気づかず、母親は憂い顔でため息をついた。

「菖蒲ったら年々秘密主義になっちゃって、お母さん悲しいわ」
「秘密主義も何も私はそいつと付き合ってなんか――!!」
「あら、もうこんな時間。荻原さん、私はこれで失礼しますね」
「ちょっと、母さん置いてくのっ!?」
「だって、仲いい二人の邪魔をするのもねぇ……上手くやるのよ、菖蒲」

バチッと似合いもしないウインクを残し、母親はドアの向こうに去る。
閉まるドアを呆然と見ていた菖蒲は、恨めしそうな顔で俺に振り返った。

「いつの間に母さんを懐柔したのよ……」
「この前のデートで菖蒲ちゃんが怒って帰っちゃったじゃない?」
「……そうだけど、それが何?」

苛々している菖蒲は、腕を組んで偉そうに続きを促す。
あくまで女王様然とした菖蒲にクスリと笑い、俺は経緯を話した。

「その時買ったものを、ここに届けに来たんだよ」
「あぁ……あの服、あんたが届けに来たのね」
「うん、そう。でね、そのときお母さんしかいなかったから、事情を説明して、渡してもらったんだ。分かった?」

なるべく簡潔にそして分かりやすく俺は弁明する。
俺の話に一応納得した様子を見せた菖蒲は、それでも口を尖らせた。

「……だからって、あんなこという事ないでしょっ!」
「あんなことって?」
「私があんたと付き合ってるなんて嘘じゃないっ!!」

とぼける俺に、菖蒲は地団太を踏む。
菖蒲の機嫌を損ねるのを分かっていて、あえてとぼける俺は本当に性格が悪い。
怒っている様子もかわいい菖蒲が悪いんだななんて思いながら、俺は悪役のように意地悪く笑った。

「これで親公認の仲だよ。その方が便利でしょ?」
「っ〜〜〜!!」
「おっと、いつまでもその手は通用しないよ」

菖蒲が繰り出した拳を左手で包み込み、そのまま引っ張る。
勢いを殺せずされるがままになった菖蒲は、すんなりと俺の胸に収まった。
じたばたと暴れようとする菖蒲を腕の力で押さえ込む。

「卑怯よっ!」
「大人だからね」
「……大人だって卑怯じゃない人はいるわ!」
「そうかもしれない。でも、あいにく俺は卑怯な大人なんだよ」

純粋な主張をする菖蒲に、俺はすれた大人として対応する。
綺麗な顔立ちと同じように澄んだ、その心を失って欲しいとは思わない。
けれど、端整な顔を持つには、菖蒲は少し無防備すぎる。
もう少し男に警戒心を持ってもらわなければ。

俺の内心を露ほども知らず、睨み続ける菖蒲の顔を覗き込む。
顔が近づいたからか、身体をこわばらせる菖蒲に、俺は優しく微笑んだ。

「好きだよ、菖蒲ちゃん」
「……私は卑怯な人嫌いよ」
「そうか、残念だね」

その言葉と同時に、菖蒲を抱きしめていた手を離す。
これ幸いと、俺から距離をとった菖蒲は、家のドアノブを掴んだ。

「話は終わったんでしょ? 私、帰る」
「ねぇ、俺は諦めないよ」
「……でも、私はあんたを好きにならない。あんたじゃダメだわ」

ちらりと俺を見て、菖蒲はドアを開ける。
バタンと思い切り音を立てて、菖蒲はドアの向こうに去る。
意味深な言葉を残した菖蒲の家からは、母親が作っているのか、煮物の匂いがした。







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2009.11.30