アネラ 7.嘘でも言えない




「はな」
「あ……祥希くん」

放課後の教室で参考書とにらめっこしていると待ち人が来た。
開きっぱなしの携帯と隠し持っていたお菓子を鞄に仕舞う。

「待ったか?」
「ううん」

隣の机を横にずらして、私の机とつなげる。
重そうな荷物を机の脇に置いて、祥希くんはどさりと椅子に座る。

「松山は?」
「今日は帰っちゃった。なんか忙しいみたい」

今、私は祥希くんと美穂ちゃんの二人に英語を習っている。
放課後、ほぼ毎日、都合のつくどちらかに、下校のチャイムが鳴るまでの約束だ。
二人だって受験生なのに、私のお願いを快く聞いてくれて、申し訳ないと共にとても感謝してる。

鞄の中から筆箱を出し、祥希くんは赤ペンを握る。
それに、昨日出された宿題を渡した。

「つき合わせちゃってごめんね?」
「……いいよ。はなより出来るし」
「う……数学ははなの方が出来るもん」

軽快に丸をつけていく祥希くんの手元をちらちらとうかがう。
見たところ丸が多いけど、単語のスペルミスが目立つ。
それに長文はほとんどを落としているようだった。

「はなは語学系が駄目だからなー」
「そういう祥希くんこそ理数系弱いくせに」

からかう祥希くんに、私は憎まれ口を叩く。
悔し紛れに発した言葉に、祥希くんは私の頭を小突いた。

「無駄話してると、教えないぞ」
「……はーい」

返ってきた答案は、大体が丸だったけど、小さなミスが目立つ。
長文問題のほとんどが些細な間違いだった。
本番では、その些細なミスが命取りになる。
何度も言われたことだった。

かえってきた宿題の出来に、私が打ちのめされていると、それを見て、祥希くんは躊躇いながら口を開く。

「……もう葉山の講義にはでないのか?」
「……うん」

少し迷ったけど、私は正直に答える。

成城には合格したい。
でも、きょーちゃんの講義にはどうしても出たくなかった。
講義に出たほうが自分のためにはなるだろう。
思うように上がらない点数に焦れているのも確か。

けれど、あの日あんなことをしたきょーちゃんに習うのには抵抗がある。
好きな気持ちに変わりはない。だけど、今は会いたくない。
会ってもどんな顔をしていいかわからない。
こんな状態では、目すら合わせられないだろう。

「何か、あったのか?」
「……うん、ちょっとね」

心配そうな顔をした祥希くんに私は曖昧に笑う。
間違えたところを直す私の手元、祥希くんの影が伸びる。

「俺には相談できないか?」
「そんなこと、ないよ。でも、人に相談するには少し恥ずかしくて」
「どんなことでもいいよ、ちゃんと聞く」
「……ありがとう」

直していたペンを止め、祥希くんの優しさにどうしたらいいか迷った。
祥希くんはそれなりに仲のいいお友達だけど異性だ。
美穂ちゃんと恋バナをするように、祥希くんに相談するのにはちょっと抵抗がある。
それに、祥希くんはきょーちゃんとも知り合いだし、そんな人に相談するのは気恥ずかしかった。

「本当にどんなことでもいいの?」
「はなの悩みなら聞くよ」

最終確認のつもりで聞いた私に、祥希くんは頼もしく笑う。
それに勇気付けられて、私は口を開いた。

「あのね……きょーちゃんにキスされちゃったの」
「え?」
「って言っても、最初にしたのははななんだけどね」

自分のそういう体験を、改めて言葉にするのはどこか照れくさい。
恥ずかしい気持ちを隠して話す私の顔を見て、祥希くんは文字通り固まった。

やっぱり話さないほうが良かったのかもしれない。
けど、中途半端に相談するのも嫌で、私は話を続ける。

「キスしたのに、きょーちゃん、はなのこと好きじゃないって」
「……」
「きょーちゃん、何考えてるんだと思う……?」

期待させるだけ期待させておいて、好きじゃないって裏切るなんて考えられない。
好きでもない女の子にキスするなんて、きょーちゃんはひどい男だ。
それとも、もしかして男の人は皆、好きじゃなくてもキスぐらい出来てしまうのか。
同じ男として祥希くんの意見を聞きたかった。

私の話を聞いて、祥希くんは難しい顔で黙り込んでしまった。
その普段からは考えられない様子に、私は声をかける。

「祥希くん?」
「はな、俺にしないか?」
「え?」

隣り合った机の上、シャーペンを握る右手を祥希くんの左手が掴む。
その力の強さと続く言葉に、今度は私の動作が止まる。

「俺ははなのことが好きだ。葉山なんてやめろよ。報われないだろ」
「……祥希くん」

思いがけない告白に頭の中が真っ白になった。

祥希くんが私のことを好きなんて、考えてもみなかった。
祥希くんはずっと良いお友達で、もしかしたら美穂ちゃんが好きなのかもと思ったことはあった。
でも、美穂ちゃんならまだしも私のことが好きなんて。
そんな素振り少しも見せなかったのに。

どうして今になって私のことを好きだ何て言うのだろう。
好きならもっと早く、私のことを好きだって言って欲しかった。
私がきょーちゃんにべた惚れしてしまう前に。

祥希くんは悪くないのに、祥希くんを責める言葉ばかりが浮かぶ。
そして、私は思ったことをそのまま口に出す。

「はなはどうして、祥希くんを好きにならなかったのかな……」
「はな……」
「そうすればこんな苦しくなることもなかったのにっ!」

祥希くんを好きになれば、私はもっと楽になれた。
叶わない恋に身を焦がすことなく、年相応に幸せになれただろう。
祥希くんは優しい人だ。きっと私を大切にしてくれる。

けれど、現実は全然楽なんかじゃない。
大切にされるなんて夢のまた夢。

私は、不誠実なキスをする一回りも上の男が好きなのだ。
幼馴染としては大事にしてくれても、女の子としては扱われない。
でも嫌いになれない。それがひどく悔しい。

「弱音吐いてごめん、なさい。私、やっぱり」
「はなっ!」

きょーちゃんが好きと続けようとした私の頭を祥希くんが乱暴に掴む。
そして、続きなんて聞きたくないと言わんばかりに祥希くんの肩口に押し付られる。
もう片方の手は背中に回り、私は祥希くんに抱きしめられているのだと分かった。

好きな人がいるのに、他の人に抱きしめられていることの居心地の悪さに、私は身じろぎをする。
それにここは放課後の教室、誰か通りかかるかもしれない。

「やだっ、祥希くん」
「今だけ」

持ったままのシャーペンで祥希くんを傷つけそうで、ロクな抵抗も出来ない。
だからせめて祥希くんの意思で放してもらえるように言葉で拒絶を伝えると、弱々しい低い声が返る。

「今だけでいいから……俺から逃げないでくれ」

喉の奥から無理やり搾り出したようなかすれたそれに、一瞬抵抗を忘れる。
その声に私は祥希くんを傷つけたことを知った。

私を好きといった人に、弱音を吐いて頼って、でも違う人が好きだなんて言おうとして。
ひたすらに思うことに疲れたからって、祥希くんに逃げようとして。
傷つけないはずがない。
私のずるさが余計に祥希くんを傷つけたんだ。

学ランの肩が私の涙で湿っていく。

「ごめんなさい、ごめん、なさっ」
「うん……」

謝るしかできない私の頭を祥希くんは優しい手付きでなでる。

私にはそんな優しくしてもらう資格なんてないのに。
いまこの瞬間にもきょーちゃんのことを考えてる私には、祥希くんの優しさに縋る権利などない。

でも、祥希くんの優しさが嬉しくて。
こんな私にも優しくしてくれる祥希くんに甘えていたくて、その手を振り払えない。
祥希くんは私がそんなことを考えているなんて思ってもみないだろう。
自分のずるさが嫌になる。

「俺ははなのこと好きだよ」
「……私は」

耳元に囁かれる告白。
真剣なそれに私は正直に答えた。

「きょーちゃんのことが好きだよ……」

祥希くんを好きだと嘘をいうこともできた。
でも、きょーちゃん以外の人に好きだと言いたくなかった。

祥希くんに甘えることは出来ても、ただそれだけ。
思ってもいないことなんて言えない。

どれほど傷つけられても、私はきょーちゃんが好きで。
嘘でも他の人に好きだとは言えなかった。

「ごめんなさい」

自分の呟いた白々しい謝罪の言葉に、返る声はない。
それに、もう友達には戻れないのかもしれないと思った。






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2011.07.08