誘惑カムフラージュ 第三話




「いらっしゃいませ」

大きな声を出して、にっこりと笑う。
バイトも四日目にもなれば、少しずつ慣れてくる。
最初は嫌だった可愛すぎるハートのエプロンも気にならなくなってきた。
単純に、忙しくて気にしてる暇がないというのもあるのだけれど。

「オランジェットひとつとボンボンショコラの10個入りひとつね」
「はい、かしこまりました」

注文されたものをショーケースから丁寧に取り出して梱包する。

バレンタイン前日なのもあって、お店は大繁盛。
ひっきりなしにお客さんが来店し、てんてこ舞いだ。

「みどりちゃん、ここは僕やるから、会計しちゃって」
「うんっ、ありがとう」

初の接客業なのもあっていつもよりてきぱきと動けない私を、銀くんはすばやくフォローする。
それに申し訳ない気持ち半分、嬉しい気持ち半分だった。

気遣いのできるところ、変わってない。
私の好きな銀くんだ。

それから、次々くるお客様を相手にチョコレートを売っていく。
決して安いものではないのに、ポンポンと売れる様は見ていて気持ちがよかった。

同じ高校の生徒もちょくちょく見かける。
部活帰りなのだろう、友達同士で騒ぎながらチョコを選ぶ様子は何だか微笑ましい。
自分には縁のなくなってしまったイベントだけに、ほんの少しうらやましかった。

「銀くん!」

はしゃいだ愛らしい声。
接客中の私の斜め前、横目で見ても可愛らしい女の子。
嫌な予感がした。

「来ちゃった」
「……お前、来るなって言っただろ」
「でも、ほら銀くんがチョコ売ってるの見たくて」

親しげな態度。上気した頬。
この子はもしかしたら、銀くんの彼女かも知れない。

どうして、私はその可能性に思い至らなかったのか。
性格がよくて、可愛い銀くん。彼女がいたって不思議ではないのに。

でも、銀くんに話しかける子より、私のほうが可愛い。
そうやって矜持を保とうとしても、私はもう三年前に振られているのだ。
いくら取り繕うとしても勝ち目なんてない。

嫌な気持ちがどんどん降り積もっていく。

「お姉さん、お会計」
「あ……申し訳ございません!」

ぐるぐると考え込んでいたら、お客さまを待たせてしまった。
慌てて詫びて、急いで品物を渡し、会計をする。
カルトンに置かれたお金を数えようとしたら、小銭を下に落としてしまった。

「失礼しました!」

いたたまれなくて、せっかく頑張っていた営業スマイルが消えていく。

動揺してるだなんて、銀くんに気づかれたくなかった。

どうにかお釣りを返して、深くお辞儀をする。
怒りっぽいお客さまじゃなくて本当によかった。

「池宮さん、大丈夫?」

珠希のおばさんが心配そうに私の顔を覗き込む。

「大丈夫です」

それに何とか微笑んだ。
あと、一時間の辛抱。
嫌なものは嫌だけど、それぐらいなら耐えられる。

「でも、顔が真っ青だよ。ねぇ、松岡くん」
「そうですね。具合が悪いなら、今日は早退しなよ。僕がその分頑張るから」

おばさんが同意を求めると銀くんが肯定する。

いつの間にかいなくなった彼女。
とてもホッとすると同時に、体がどっと疲れてしまった。

「……うん、ありがとう」

二人の好意に甘えることにする。

「今日は早く寝るんだよ」

その場をあとにしようとする私の背中に、銀くんの的外れなアドバイス。
優しさだけは受けとりたくて、振り返り軽く会釈すると銀くんはにこりと笑った。


***


具合は悪くはなかった。
ただただ私は疲れていたのだ。

「梗子……」

着替えを終えた帰り道、梗子に電話をかけた。
どうしても誰かに聞いて欲しかった。

『みどり、どうした?』
「私もうヤダ……」

こんな風に銀くんに振り回される自分が。何にも分かってない銀くんが。

嗚咽混じりに話せば、何かを察したのか、無言になる受話器。

『何か嫌なことでもあったか?』

梗子は聡い。
相談相手にはもってこいだった。

「私、自分が嫌だ」

三年間まったく会おうともしなかったのに嫉妬だけは一人前にして。
あげく具合が悪い振りをして早退するなんて。

こんな私じゃ駄目だ。
銀くんに全然釣りあってない。
こんな自分断ち切ってしまいたい。

梗子にぽつぽつと話す道すがら、美容院の明かりが目に付いた。

私の長い髪。中学のときから切ってない。
可愛くなれたらと思って、ずっと伸ばしてた髪。
他の人にはモテたけど、本命に振り向いてもらえないなら意味がない。

手放してしまいたかった。

「ごめん梗子、切るね」
『え、みどり早ま――』

受話器の向こう側で梗子が騒いでいたけれど、無情に切った。
美容院のドアを開ける。
ためらいはなかった。






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2013.03.14